私たちは二つの理論を闘争せしめて、いづれかをして他を克服せしめるか、或は、両者を綜合するより高い段階に進まねばならぬ。
 以上の説明によりて、私は、事実としては、文学上の種々の流派の存在理由を認めるに拘らず、理論としては、凡ての流派の理論を同一の存在権利をもつものとして許すことができないことを信じてゐることがわかつたであらう。文学理論は、他の諸科学の理論と同様に、唯一の体系に組織されねばならぬ。また、どれ程遠い将来に於てゞも、それは組織されるであらう。但し私は、それを信ずるだけであつて、私自身が、いますぐにこの大事業に着手しようとは全然思つてゐない。また、今後、文学上の種々の流派が生滅するであらうことは確実といつてもよい。がしかし、その場合私たちは、事実の前に屈服して、みんな正しいのだといふやうな折衷主義に堕してはならないであらう。

         三 文学は何のために生れ何のために存するか

 私は、文学の本質といふアプリオリをすてた。それと同じ理由によりて、今度は、文学は何のために生れ、何のために存するかといふ問ひに対しても、先験的な解答を断乎として排除しなければならぬ。
 こ
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