と解釋されたら、こんな下らん論爭は起らずにすんだろう。ところが氏はどうしたものか雪と墨、鷺と烏ほど似もつかぬ「失業勞働者」という「概念」を「ごろつき」という現實の中から引つぱり出したために、無益に憤慨し、切齒《せつし》し、罵詈《ばり》し憐憫する必要が起り、ひいて「泥人形」ならぬ「現實」の僕自身もそのまきぞえを食うべく餘儀なくされたのである。「概念」を排する中西氏が「概念」の俘《とりこ》となつたわけである。
 併し勿論これは千慮の一失である。弘法にも筆の誤りがあるのだから神ならぬ中西氏に解釋の誤りがあるのは怪しむに足らぬ。しかもそれは僕に「プロレタリヤ運動の現實に接して貰いたい」という親切あまつての誤解であるから僕は衷心から感謝する。尚僕は實際直接勞働運動に携わつたこともなく、またその能力も覺束ないから、その點に關しては指導されんことを希望する。ただ僕も「失業勞働者」と「ごろつき」との區別がつかん程血迷つてはいないからその點は御安心が願いたい。最後に同志中西氏の健在を祝つて妄言を擱《お》く。
[#21字下げ、地より2字あきで](大正十一年七月)



底本:「日本現代文學全集69 プロレ
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