中西氏に答う
平林初之輔
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)凡《あら》ゆる
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前掲「文藝運動と勞働運動」の一文句に對して中西伊之助氏が「種蒔く人」八月號で猛烈に批難された。これはそれに對する回答である。讀者の中にも同じような疑問をもたれる人があるかも知れぬと思つて轉載する。
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大抵の批難には默つていられる程僕も修業をつんできた。「文藝運動と勞働運動」に對する中西氏の批評も相手が別人なら有難くお受けしておいて差支えないのである。併し相手が日本に於ける勞働運動の一先覺者であり、プロレタリヤ運動の一鬪士であり多くの點に於て僕等の先覺と信じて疑わざる中西伊之助氏であつて、しかも、氏の批評が、或は懇々として教え、或は嚴然として叱正し、或は浩然として歎息され、凡《あら》ゆる點に於て親切を極め、好意に滿ちたものである以上、そして最後にあまりに甚だしい誤解である以上、おまけに編輯者からわざわざ僕の手許まで中西氏の原稿が廻送された以上一言挨拶して中西氏の誤解を解く責任があるように感じられる。
問題の文句は「社會主義運動の中に働くことの嫌いなごろつきや食いたおしがまじりこむと同じように――」という一句である。僕は急いで原稿を書くので、これまでにあとから訂正したくなるような不用意な文句を書いたことは屡※[#「※」は二の字点、第3水準1−2−22、292−上−26]ある。併し、この一節は今でも少しも訂正する必要を感じない。文字通りの意味で今なおそう信じているのである。ところが誰が讀んでもわかりきつた平明の文句の中から、中西氏は一ダースばかりのすばらしい概念をひつぱり出された。何にもない袖の中から一ダースも卵を出して見せる手品師のように。
中西氏はまず、この文句を讀んで「何というブルジョア的な口吻だろう!」と概括的な第一矢を投げつけ、次に僕(平林)が「ブルジョア的眼光をもつて今の社會運動を見て」いるものと斷定し、「僕等(中西氏)プロレタリヤの感情からすれば到底そんな輕薄な概念で片づけてしまうに忍びない」と自らの立場を表明され、一轉して、僕の例の文句を「失業勞働者」「餓死か破壞か二中一を選ばなければならない悲しい人
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