々」を意味するのだと獨斷し、この獨斷を僕に無雜作になすりつけて、なすりつけられた泥人形の「平林」に向つて「平林君は果してその人々を指してごろつきと言い食い倒しという理由を見出すことが出來るか?」と色を作《な》してきめつけられる。かくして泥人形の「平林」は參つた。生きた人間の平林は參らぬ代りに自分が「泥人形」でないということをわざわざ辯明する「責任」を背負わされた。僕が、中西氏のいうように「現實」を見損つて「輕薄な概念」に走つたか、或は中西氏が周章《あわ》てて千慮の一失の誤解をやられたかは何人の判斷にでも僕はまかせる。
實を言うと辯明するよりもあの文章をもう一度讀み直していただくだけの勞力をおしまれなかつたら誤解は氷釋する筈だ。僕は「失業勞働者」と「ごろつき」とを混同する程の血迷い方は決してしなかつたつもりだ。中西氏自身で勝手に二つの概念を結びつけて、こん度は自分でこしらえた假想敵に向つて批難を浴せかけられるのだ。
しかしおのぞみなら辯明する。第一に無論あの文句は「失業勞働者」をさしているのではない。こんなわかりきつた誤解をしたりそれに答えたりするのは吾々の恥辱だ。失業勞働者は誰でも知つている通り、資本主義經濟組織に必然的に伴う犧牲だ。しかも失業によりて資本主義社會のからくりが最も直接にわかるから、失業者の中に最も革命的分子が生ずることさえあり得る。その失業者が社會主義運動の障害になるというような理窟を創造する程僕の頭は獨創的でない。
次にあの文句は中西氏の批難するように概念ではなく事實を指しているのである。不幸にして社會主義者と名乘つている不良青年組や、何ぞ言えば日本刀を振り廻すような連中のあることを吾々は耳にしている。しかもその背後にいかさま師がひそんでいる場合のあることも聞いている。それが爲めに健全なる勞働大衆に社會主義が如何に誤解され、從つて社會主義運動が障害されたかも知つている。殊に社會主義運動に古い歴史を有する歐米諸國ではこの種のいかさま者が風向次第で社會主義者になつたり、反動派の手先になつたりした例がいくらもある。マルクスが「頼み手のない辯護士、患者のない醫者、田舍新聞のもぐり記者其他々々」とこれ等いかさま社會主義者の合成分子を指摘したのでもそのことは知れる。
「現實」を尊ぶ中西氏が僕の文句を「現實」のままに解釋し、文字通り「ごろつき、食いだおし」
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