涙さしぐみ帰りきぬ
   山のあなたになお遠く
   さいわい住むと人の言う

この歌を歌いましたわ。すると先生もあとからついて歌われましたわね。わたし耳の附根まで赤くなりましたわ。でもわたし歌はやめなかったわ。そしてほんとうにうれしかったわ。胸がぞくぞくする程でしたわ」
 村木博士の眼も少しうるんで来た。追懐ということはどんなに苦しい時の追懐でも人の心をセンチメンタルにする。まして、このような、ロマンチックな追懐は涙を催さずにすむものではない。博士は彼女の言葉をついで言った。
「それから海の中でずいぶん会いましたね。下半身を水の中へつけながら、そして時々やって来る波のうねりをよけながら、いろいろなことを話しましたね」
「そしてとうとう妾《わたし》も先生から一|間《けん》もはなれないところで、並んで砂に埋まりましたわ。そしていろんなお話をうかがいましたわ。先生が独逸でごらんになった表現派の芝居のお話など……そして先生が遊びにいらっしゃいとおっしゃったので、鎌倉のお宅へ伺ったのでしたわ。それから……」
「妙なものですね人間の縁というものは、それであなたはその夏きり××大学の聴講
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