は、妾《わたし》ほんとに顔から火が出るようでしたわ」
「これから理学者になるのです。私のところで、これから半年も勉強していらっしゃれば、立派な理学者にしてあげます。寺田学士の『化学精義』は大分進んだでしょう。わからんところは遠慮なくおたずねなさい。さあこれから少し復習しましょう」
「先生」
 こう言って顔をあげたとき、房子の眼は少し涙ぐんでいた。
「妾《わたし》もう、そんな難かしい本を教わるのはいやでございます。妾《わたし》はただの女でいとうございます。先生のおそばに、いつまでも離れないで、去年の夏のように先生に愛されて……先生、妾《わたし》をどこかへつれて行って下さい。誰もいないところへ、先生と二人っきりのところへ」
 彼女は博士の膝に顔をふせてすすり泣きはじめた。博士は、膝のあたりに荒布の作業服をとおして、柔かい物体のうごめくのを感じながら、しばらくうっとりとしていたが、それと同時に困ったものだというような表情をも彼女の頭の上で露骨に示しながら、でも矢張りやさしい調子で言った。[#「言った」は底本では「行った」と誤植]
「いけませんね、そんなにだだっ子を言っちゃ、私はずっとあれから
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