まく鍵穴にはいった。扉は拍子[#「拍子」は底本では「抜子」と誤植]抜けのする程易々とあいた。実際、扉を叩き破っても位の権幕であった彼女には少なからず意外であった。だがそれよりも意外であったのは、部屋の中には見なれたデスクが一台と椅子が一脚、デスクの上には何かしら独逸語の書物があけてあって、その前に大判の洋罫紙に何か独逸語で書きかけたのがあるきりで、その外には何一つ見つからなかったことである。あまりのことに彼女は一時に昂奮がさめて、がっかりしてしまった。どんな精巧な仕掛がしてあることかと期待していた矢先に、見出されたのは、ありふれた机と椅子と本が一冊っきりである。
 彼女は、亡者のようにふらふらしながら、天井を見上げたり床や壁を押したり、踏んだり叩いたりして見た。けれども遂に何物をも発見することができなかった。
 彼女は綿のように疲れてしまった。そしてもとの部屋へかえって机によりかかったまま前後不覚に眠ってしまった。

 彼女が襟首に柔かい温かいものの触れるのを感じて眼覚めたとき彼女の眼は村木博士がうしろに立って彼女に接吻しているのを見出した。
「まあいつのまに……」彼女はあわてていずま
前へ 次へ
全26ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
平林 初之輔 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング