を愛していないのではなかった。彼女の未来の夫は彼女を信じきっていた。高名な博士のところに行儀見習かたがた研究の手伝いをしていることを、彼は誇としている位だった。「あの人が博士と妾《わたし》との関係を知ったらどうしよう?」
彼女は自分の立っている足の下がぐらぐらするような気がした。とりわけ、彼女にとって堪えられない恐ろしさは、どうも三ヶ月程前から身体に異状がおこったことである。博士は、妊娠ではないと診断したが、二三ヶ月前に彼女を襲った症状はつわり[#「つわり」に傍点]に相違ないように思われた。それに、今に至るまでやっぱり月のものは見られないのである。
「きっとそうにちがいない。博士は妾《わたし》に心配させないために嘘をついておられるのだ。そして御自分でも、この恐ろしい事実を信じまいとして、しいて否定しようとしておられるのだ……」
彼女は博士の冷静な態度を思い出すとはげしい憎悪を感じた。それと同時に自分が博士のたね[#「たね」に傍点]を宿していることを意識すると、博士が恋しくて恋しくてたまらないのであった。
「もしそうだとすると、妾《わたし》の身も破滅だし、博士自身も破滅だ。それに……
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