…だがこれ等についての詳しい報告は、いま発表の時期でないように思います。私の実験が成功して、この子供を日光や空気にさらしてもよいまでに発育させることができましたなら、その時に、一切の報告をすることにいたします。恐らく、本会の秋季大会には、報告できるようになるだろうと思います」
博士は急霰《きゅうさん》のような拍手を浴びながら演壇を下った。
これで東亜生理学会の昭和×年度春期公開会議はおわったのであった。
聴衆の間にはざわざわと波が起った。ベンチを起ち上って帰り仕度をするのである。
その時、傍聴席の、内藤女史の隣りにいた阿部医学士がすっと起ちあがって、いま自分の前を通り過ぎようとする村木博士に向って言った。
「先生ちょっと質問があります」
「質問ですか」と村木博士は立ちどまって言った。「今日は一切質問にお答えしないことにします。私は、私の実験の輪郭を報告しただけで、殆んどその内容には亘《わた》りませんでした。何故かというと私の実験はいま進行中なので、はたしてそれが成功するかどうかもわからないからです。だから、実験の内容に関する御質問なら、今日は何事もお答えするわけにはゆきません」
阿部医学士は「はッ」と頭を低げて席についた。
幹事が自席から閉会を告げると、聴衆はドアの方へ波打って行った。会はおわったのである。
翌日の新聞には村木博士の報告演説の内容が、多分に誇張されて報道された。「人造人間の発見」「試験管から人間が生れる」「今秋までにはオギャアと産声をあげる」というようなセンセーショナルな標題をかかげているのがあるかと思うと、村木博士と内藤女史との肖像をならべて「これが試験管で出来る赤ちゃんの御両親です」などと書いているのもあった。
新聞記者に意見を徴せられた多くの生物学者たちの中には多少の疑いをのこしているものもあったが、「それは不可能なことではない」という点では凡ての学者の意見が一致していた。そして「一日も早く詳しく実験報告に接したいものである」というのも凡ての学者に共通の願望であった。
或るフェミニストは、早急にも「婦人問題はこれによりて解決されるだろう」と主張した。婦人に妊娠、分娩ということが不必要になれば、男女の生理的区別がなくなり、女子も完全に文化的労働に参与できるからである、というのである。又或る優生学者は「これによりて優生学は合理的基
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