化されるのである。
 この関係は、ルナチヤルスキーの場合ですら、紛飾され、婉曲に言ひあらはされ過ぎてゐると私は思ふのであるが、若しこの関係が明白になれば、プロレタリア文学の存在理由が少しでも薄弱になると思ふなら、それは甚だしい誤解である。といふのは非常に簡単な理由からである。即ち、私たちは、階級と階級とが、抑圧者と被抑圧者といふ形で対立してゐる社会をそのまゝにしておいて文学をたのしむよりも、一時文学そのものゝ発達には、多少の障碍となつても、階級対立を絶滅することを欲するからである。他の一切を犠牲にしても、切迫した政治的必要を満すことを欲するからである。このことはブルジヨア文学の発生の場合にも完全にあてはまる。ブルジヨア階級が、その覇権へむかつて進出したときの進行曲として、政治的文学をもつたこと、そしてブルジヨア革命のまつ最中には、歴史的に見れば一時文学の衰頽期を現出したこと等が、それを語つてゐる。ブルジヨア文学は、愛と平和との中に、静かな朗らかなクラリオネツトの音の中に発育したものと思ふのは大間違ひで、血と闘ひとの中から戦ひとられたものである。
 そして勃興期のブルジヨア階級によつて、
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