に於ける、及び藏原氏の朝日新聞に於ける論文をさすのであるが、いまそれを參照しているひまがないので、私の讀みちがいであつたら、兩氏にお詫びする次第であるが、私のこの論文は兩氏の議論と獨立によまれても些しも理解を妨げるものではない。
[#ここで小文字、字下げ終わり]
マルクス主義は一の世界觀ではあるけれども、最もさしせまつた目的としては、組織されたプロレタリアによるブルジョア政權の奪取という政治の一點に、プロレタリアの凡ての力が集中されることを要求する。だから文學、藝術もこの政治的目的を達するための手段とされねばならぬのである。文學作品は、この視角から見たとき、直接間接の宣傳もしくは煽動《せんどう》の手段としてしか意味がない。これは、政治的に全く正しい解釋である。だから、マルクス主義政黨の藝術に關するプログラムに於て、藝術作品の價値は、それがプロレタリアの勝利に貢獻する程度の大小によつて評價されねばならぬと規定されることは甚だ當然である。そして、黨は、黨員たる作家や批評家に、その趣旨を傳達し、また命令することも當然である。藝術は手段ではないとか、文學は宣傳の道具ではないとかいうことを、
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