らして判斷してゆく司法官の任務とは全く異つて、この法典を日常の鬪爭を通じて自らつくつてゆくことであるのである。文藝作品の評價というような問題については、無論私たちはまだ「原理はもうできあがった。あとはその應用のみである」という風な完全な法典を現在與えられておらぬし、また未來永劫そういうものの與えられる氣遣いはないであろう。それは單に、すぐれたマルクス主義者には、もつとほかに重大な仕事があるからという理由からばかりではなくて、問題の性質上與えられ得ないのである。
 ところが、ここに一群の人々がある。それ等の人々は、この政治的價値と藝術的價値とは二つの直線のように、全く重ね合わせることができると考えるのである。勝本清一郎氏はそれを「社會的價値」という名前で呼んでいる。そして社會的價値は同時に藝術的價値であり、社會的價値のほかに藝術的價値ありと思うのは一の迷妄であるとして、藝術的價値というものを全く解消してしまつた。藏原惟人《くらはらこれひと》氏も、この一元觀に關する限りに於いては勝本氏と同意見であるように思われた。
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(註) 勝本氏の三田文學
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