る場合があるにしても、全く別の原則によりて支配されてゐる。そして最もよく売れるといふことを目的として書かれた小説が、意識的な大衆文学を形成するのであり、従つて、大衆文学に於いては、よく売れるといふこと、即ち、商業的価値が第一義的に置かれる。商業的価値を無視して、現代では大衆文学といふ特殊な存在を理解することはできない。尤も大衆文学に限らず、近代の小説は、多かれ少なかれ、商業的価値を眼中において書かれる場合が多く、凡ての小説が大衆文学化しつゝあることは事実であるが、このことは、大衆文学の特質を抹消するものではなく、却つて、大衆文学の勝利、従つて、文学作品の商品化を意味するのである。
だが、商業的価値は、商業といふものゝ本来の性質として、甚しく投機的であり、不安定であつて、一般的にこれを規定することは甚だ困難である。多く売らうと企画された作品が必らずしも多く売れるとは限らず、売れ行を危んで書かれ、出版された小説が、意想外な売行を示して、出版者をも作者をも驚かす場合が甚だ多い。マイケル・ジヨセフも言つてゐるやうに「少数の運のよい例外を除いては、何人も、故意に、良く売れる書物をこしらへること
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