。このことは、大衆が、ハツピー・エンデイングの物語を喜ぶことによりて説明される。人々は実生活に於いて自己の努力で、勝利のクライマツクスを味はふことができないものだから、実生活に幻滅して、小説に慰安を求め、暗々裡に、自ら作中の主人公若しくは女主人公のつもりになつて、一時的な、幻想的な満足を感じようとするのである。近代の舞台に上演されるわざとらしいハツピー・エンデイングの戲曲も、それと同様の目的を果してゐるのである。』
[#ここで字下げ終わり]
この言葉は、生一本な芸術至上主義者を憤慨させるに足るであらう。これから小説家としてのキヤリーヤを一歩ふみ出さうとする若い人たちは、かういふ見解に対しては、多かれ少なかれ失望を感ずるであらう。だが、私はこれこそ事実であり、これこそ読者大衆の小説に対する最も普遍的な態度であらうと思ふ。それだからこそ、芸術的価値に於いては如何[#「如何」に「ママ」の注記]はしいと思はれる大衆文学の或る作品が、屡々読書界を席捲するやうな現象を起すのである。
或る小説が、文学としてすぐれた作品であるといふことゝ、その作品がよく売れるといふこととは、往々にしてそれが一致す
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