それでも、少くも資本主義国に於けるプロレタリア大衆文学は、商業的価値を軽視することはできないし、この場合には商業的価値とはいへなくても、芸術的価値とは更に一層言へない何等かの価値(殆んど商業価値に換算できる価値)が関与することをも考慮しなければならぬ。更に進んではフオルムそのものが、芸術的価値を構成する一要素であると同時に、商業的価値を構成する一要素でもあると言へるであらう。しかも後の場合では極く小さい要素に過ぎないであらう。何故なら、良く売れる小説は必らずしも名文であるとは限らないからである。
 文学の大衆性の問題は種々な視角から眺めらるべき問題である。私が文学作品を商品としてここに論じたからと言つて、私が文学作品に商品以外の性質を見ないのだなどゝ早合点されては困る。たゞ私は、大衆文学の問題は、文学作品を一応商品としても見なければ、十分に理解し得ざること、大衆性とは、芸術的価値の一属性であるよりも、むしろ商業的価値と私が名づくる別箇の価値の別名であることを指摘したにとゞまるのである。
[#地から1字上げ](昭和四年五月「思想」)



底本:「平林初之輔文藝評論全集 上巻」文泉堂書店
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