を決定する上に相当な役割を演じてゐるといふことを認めるやうになつて来たが、それでも、なほ、私は、この商業主義の力は、文学作品の大衆性に対して付随的な条件に過ぎないと考へてゐた。ところが近頃になつて、私は、文学作品の大衆性の問題は、文学の本質的な問題といふよりも、寧ろより多く、商業主義によりて決定される問題であり、大衆性といふことに関する限りに於いては、出版商業主義の力こそ、まさに本質的な要素であると信ずるやうになつて来た。
そこで、私は、言はゞ、文学作品の芸術的価値に対立して、その商業的価値とでもいふべきものを仮想する必要に迫られた。マルクス主義文学の作品の場合に、政治的価値と芸術的価値とを対立させたやうに、いはゆる大衆文学の作品の場合には、商業的価値と芸術的価値とを一応分離して対立させなければ、文学作品の大衆性といふ問題を十分に理解することは不可能であると考へるに至つた。
さきに、芸術的価値と政治的価値とを私が分離したときに、この二つは互に排撃しあふものであると私が主張したかの如く誤解した人が随分あつたが、私はこの二つは、別々の要素であるにかゝはらず、一作品のうちに両立し得るもの
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