文学とマルクス主義文学との相違は、前者は大衆の文学であり、後者は前衛の文学であるといふ点に存する。前者は政治的目的を意識せずに自然に発生し成長して来た文学であり、後者は明確に政治的目的を意識して、その目的を遂行するために書かれた文学であるといふ点に存する。こゝで、殆んどことはる必要もないのであるが、何でもすきさへあれば、誤解しようと待ちもうけてゐるやうな批評家たちのために断つておくが、私がこゝで大衆の文学といふのは、所謂大衆文学即ち大衆のために書かれた文学とは無関係であり、その中にはこの意味の大衆文学もあれば極めて非大衆的な文学があつても差支へないのであり、その逆に、前衛の文学といふのも、前衛のために書かれる文学の意味ではなくて、前衛が大衆のために書く文学も含まれてゐるのみか、むしろこの場合は後者の方が普通である位であるのである。
以上で、私が、マルクス主義文学といふ言葉を如何に解して来たか、又現在如何に解するかといふことはほゞ明かになつたであらう。これでもまだ不明瞭だといふ人に対しては、私は遺憾ながらこれ以上はつきり説明する術を知らないと答へておくより他はない。
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