たとひその作品が、マルクス主義的イデオロギイにつらぬかれてゐるとしても、私は、その作品を厳密な意味でマルクス主義文学の作品とは呼ばないであらう。何となれば、それは、マルクス主義政党の仕事を意識してかゝれた文学ではないからである。これに反してAといふマルクス主義作家が、或る明確な意識をもつて大衆を啓蒙するために、社会生活に於ける極めて初歩の階級性を面白く読ませながらわからせるやうな一篇の大衆小説を書いたとする。それは、一見マルクス主義者でなくとも、良心ある[#「良心ある」に傍点]作家なら誰にでも書けさうな作品であつても、やはり、私はそれをマルクス主義の作品と呼ぶであらう。何となれば、この場合には党の仕事、従つてそれから規定された作家としての彼自身の任務が十分に意識されてゐるからである。
この極端ではあるが、実際には屡々起り得る例によりてわかるやうに、マルクス主義文学とは、プロレタリアの前衛たるマルクス主義者が、プロレタリア政党の任務を意識し、その任務の実現にそふやうな目的をもつて書かれた武装した文学[#「武装した文学」に傍点]である。勿論、その政党が十分広汎な文化の領域を見とほす視野を
前へ
次へ
全45ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
平林 初之輔 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング