のであり、且つさうされざるべからざるものであると解する。マルクス主義政党の一般的活動の中へ浸透して、その目的のために役立たなければならない文学であると解する。ルナチヤルスキーが、「プロレタリアの解放の仕事に助力する」ことを、マルクス主義文学の大前提として規定してゐるのはそのためであり、レーニンが、マルクス主義文学を、社会民主党の「歯車でありネヂである」必要があると言つてゐるのもそのためである。こゝで私の批判者たちが、文学は形象の文字[#「形象の文字」に傍点]で語られねばならぬといふ点を重視して、レーニンの歯車とネヂの説を曲解し、この一語によりてマルクス主義文学に於ける政治的優越性が消散してしまふやうに説いてゐるのは甚だしい間違ひである。
 更に進んで私はかりに私自身が、マルクス主義的イデオロギイの持ち主であると仮りに定めよう。(さういふ仮定をするのは僣越だと考へる人があるなら、私のかはりに田中総理大臣とかへても差支へない。仮定は飽くまでも仮定であるからだ。)その私が、マルクス主義政党の外にありて、党の仕事とは関係なく、たゞ文学的感興の湧くがまゝに一つの文学作品を書いたとする。この場合、
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