い。徹底的理解に達するためには、外部的分類でなしに、内部的分析の方法によらねばならぬ。私は勝本氏が外部から分類したことを、内部からその価値構成要素を分析して、政治的[#「政治的」は底本では「政治団」]価値と芸術的価値といふ二つの価値の結合をマルクス主義文学の中に認めたのであつた。勝本氏が作品の相貌によつて分つたことを、私は作品の機能によつて分つたのである。
従つて氏が、私の所謂マルクス主義文学[#「マルクス主義文学」に傍点]を、「昨年の三月十五日事件以後の政治的情勢に結びついた大衆化の過程に於けるプロレタリア的アヂ・プロ文学運動の場合を主として指したに違ひない」といふのは、あまりに問題を局限しすぎてゐる。私は意識的マルクス主義の文学全体について言つてゐるのだ。強ひて日附を示すなら、日本では目的意識の理論が文学に導入された時から以後の文学作品をさしてゐるのだ。氏等の所謂「プロレタリア文学確立のための運動」をも政治的ヘゲモニイのもとにたつ意識的運動であると解してゐるのだ。この点では私の見解は、勝本氏よりも寧ろ、鹿地、中野両氏に近い。これはナツプに於いてプロレタリア芸術確立の運動が政治的に
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