でも田舎の小学校の先生などの間には見出されるであらうところのマルクス主義批評家の口吻のヂユプリケーシヨンである。こんな批難にまで答へてマルクス主義の闘争性を講釈しなければならぬなら、私は筆を折つてしまひたい位だ。
要するに大宅氏の批判は徹頭徹尾誤解若しくは曲解をもつて貫かれてゐるので、反駁は一行一行に加へなければならぬのだが、そんなことは、私にも、「新潮」編輯者にも、読者にも我慢のできないものであるから、私は「再吟味」の「再吟味」の「再吟味」を大宅氏に勧告して次に移るであらう。
六 勝本清一郎氏の主張
勝本清一郎氏の「新潮」六月号に発表された「芸術運動に於ける前衛性と大衆性」及び「芸術的価値の正体」は、少くも前者は、直接私の理論を対象として批判されたものではないが、非常に密接にそれに関連した問題が取り扱はれ、後者は殆んど専ら私の理論が対象とされてゐる。
この二つの論文に於ける勝本氏の私に対する批判は、小宮山氏や大宅氏のそれに比べて遥かに、理解が深められ、問題の中心に接近してをり、且つ多分に示唆的なものをもつてゐる。言はば小宮山氏は何んにも考へずに俄づくりの公
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