のである。それだからこそ、芸術的価値も亦社会的に決定されるとことはつておいたのだ。一日か二日で書いた三十枚のあはたゞしい論文で史的唯物論を「批判」するには、私はあまりに貧小であつたといふよりもあまりに健全であつたといふこと位は、私は大宅氏に認めて貰ひたかつた。
 最後に、私が二つの価値の結合関係を、力による[#「力による」に傍点]、権威による[#「権威による」に傍点]ものであるとしたにかゝはらず、マルクス主義文学即ち私によれば、政治のヘゲモニイのもとにたつ文学を合理化したのは「階級と階級とが、抑圧者と被抑圧者といふ形で対立してゐる社会をそのまゝにしておいて文学をたのしむよりも、一時文学そのものゝ発達には多少の障碍となつても、階級対立を絶滅することを欲するからである」と説明したのに対して、大宅氏は、これは道徳論であり唯心論であり、観念論であると、ありつたけの批難の言葉を並べ、氏自身は、マルクス主義者からとんぼ返りして正義派になつて、マルクス主義文学は最も正しい文学[#「最も正しい文学」に傍点]だから支持されるのだと説かれる。こらはあたかもツガン・バラノウスキーから福田博士に至る、そして今
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