矛盾を、マルクスは、小宮山氏が谷川氏の文章の中から引用した言葉によれば、次の如く言ひあらはしてゐる。
「困難はむしろそれら(希臘の美術や英雄詩)が我々に対してもなほ芸術的享楽を与へ一定の点に於いては、規範として、また到達し得ざる模範として通用することを理解する点に存する。」
マルクスは問題を正当に提出した。こゝでマルクスははつきりとギリシヤの芸術が我々に対してもなほ芸術的享楽を与へる[#「我々に対してもなほ芸術的享楽を与へる」に傍点]と言つてゐる。ところが小宮山氏にとつてはマルクスに困難であつたところのものが「容易に理解」できるのである。即ちマルクスが「我々に対しても[#「我々に対しても」に傍点]」と言つてゐるのは氏によればマルクスの理解力の不足のためであつて実は、それは単に歴史的に保存されてゐる趣味[#「歴史的に保存されてゐる趣味」に傍点]に過ぎないものとなるのである。
マルクスと小宮山明敏氏との差は、しかし、マルクスよりも小宮山氏がすぐれた芸術の理解者であるがためではなくて、マルクスは事実を解釈しようとしたが、小宮山氏は前掲論文のはじめの方で氏が規定した児戯に類する公式を事実に
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