おゝひかぶせようとしたといふ点にある。
 そしてその刹那に氏の脆弱な公式は粉微塵に破砕してしまつたのである。公式は常に事実の中からひき出されなければならぬ。

         五 大宅壮一氏の「再吟味」の対象

 大宅壮一氏は「新潮」五月号で「マルクス主義文芸の自殺か暗殺か」といふ論文を発表され、それに『平林初之輔氏の「マルクス主義文学理論の再吟味」の再吟味』と傍題をつけてをられる。
 ところで大宅氏はほんたうに私の再吟味を再吟味したか? 氏の再吟味の対象はほんたうに私の「再吟味」であつたかどうか? 不幸にして私はかういふ問題から出発しなければならぬ。
 私はマルクス主義文学者といふ一人の人間を、マルクス主義者であつて且つ文学者である人といふ風に分析した。言ふまでもなくマルクス主義者にして文学者でない人もあり、文学者にしてマルクス主義者でない人もあるのだから、この分析は決して不当でないのみか、マルクス主義文学者をさうでない文学者から区別し、その特殊性を知るためには、この分析の過程を省略するわけにはゆかないのである。この場合にもその他の場合に於ても一貫してゐる大宅氏の誤謬は、マルクス主
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