されるのである。そしてこの矛盾? は私が『芸術的価値が個人によつて決定されるものであるか或は社会的に決定されるものであるかといふことを自ら判別することができるかの如くして、なほ、明確には判別することができなかつたところに』原因があると主張されるのだ。
 これによつて氏は芸術的価値が社会的に決定されるといふ意味を全く理解してゐないことがわかる。或る芸術作品に価値を認めるのと認めないのとは全く個人的であつて、個人の趣味好尚がこの評価に重大な力をもつてゐることは氏の公式に都合がよいと悪いとに拘らず事実である。それにも拘らず芸術作品の価値が社会的に決定されると私たちがいふのは、さうした個々人の趣味好尚そのものが大体に於いて、社会的に決定されたものであるといふ意味に外ならないのである。同じ時代の同じ階級の人々の中にも島崎藤村を好む人もあり、田山花袋を好む人もあり、同じ藤村の作品の中でも、「家」を傑作とする人もあり、「新生」を傑作とする人もあるのはそのためだ。
 私が政治的価値と芸術的価値といふ二つの価値を設定することによりて説明し、小宮山氏がそれは私の前時代的趣味好尚であるとして片附けてしまつた
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