になつて氏の期待とは全く反対の結論を生むことになるであらう。だが私は、これは氏の用語の不用意として、同時代といふのはほゞ同階級といふ意味に解すべきものだと勝手に変改しよう。だがさう変更しても氏の公式は猶ほ忽ち事実と衝突する。文学作品の評価は、決して全階級的に一致するものでもなければ、或る階級の作家の作品が、他の階級の読者に対して全的に魅力を喪失するものでない。ドストエフスキーもアレキサンドル・ヂユマも前時代のブルジヨア作家である。だが、ブルジヨア階級が全的にドストエフスキーを享受したといふ事実も、ヂユマを享受したといふ事実も私はきかぬ。それと同時にこれ等の作家がプロレタリア階級に対して根こそぎ魅力を失つたといふことも事実に反する。今日ロシアのプロレタリアによつてトルストイがなほ最も広く読まれてゐることは彼国の統計が示してゐる。
ところが私がブルジヨア作家の作品にもプロレタリア作品にも、そのすぐれた作品には魅力を感ずると言つたのは、氏によれば私一個人の趣味好尚であつて、個人の趣味によつて政治的生命の、従つて政治的価値のなくなつた作品に芸術的価値を認めるのはやゝ僣越的誇大であると氏は叱正
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