マントルのやうにちよつとさはつてもこはれるやうな脆弱な公式である。
ある時代に価値のあつた作品は次の時代には全く無価値[#「全く無価値」に傍点]となり、次の時代に価値のあつた作品も、第三の時代には全く無価値[#「全く無価値」に傍点]となるといふ公式が、氏の理論的全財産である。しかもこの価値の喪失と獲得とは、頗る機械的に根こそぎに行はれるのである。即ち或る時代の作品は、同時代人一般に亘つて享受せられ[#「同時代人一般に亘つて享受せられ」に傍点]、彼等を全生活的に[#「彼等を全生活的に」に傍点]、または全方向的に感動せしむる[#「または全方向的に感動せしむる」に傍点]ものであり、これに反して前時代の作品は、次の時代には全く無価値[#「全く無価値」に傍点]となり、社会的には成立しない[#「社会的には成立しない」に傍点]といふのである。
私は小宮山氏が一度でも文学史上の事実を見たことがあるかどうかを疑問とせざるを得ないのである。先づ第一に一つの時代は常に異つた、対立する階級を含んでゐるから「同時代人一般に亘つて享受せられる」作品があるとするのは、その作品の価値が階級を超越してゐることの証明
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