献しつゞけてゆくであらう。そして社会現象を統一的に理解せしめる最もすぐれた方法を与へたものは、少くも現在に於いてはマルクス主義の社会観であることを私は信じてゐる。
 だがマルクス主義は、芸術も、宗教も、道徳も、科学も、別々に無関係に発達してゆくものではなく、相互に依存しあひ、相関々係のもとにおかれてゐるものであり、しかもこれ等をひつくるめての所謂上層建築[#「上層建築」に傍点]の変化は、経済的基礎の変化によつて条件づけられるものであることを教へはするけれども、社会の文化の各部門がそれ/″\の独自性を、従つて価値[#「価値」に傍点]を失つて、社会的価値[#「社会的価値」に傍点]といふ一つの価値しか成立し得ないなどゝは決して教へない。かやうな見方はたしかに日本の或るマルクス主義文芸批評家たちにその発見の全名誉が帰せらるべきものである。たとへばブハリンは、「史的唯物論」の中で文化の各部門の価値といふ言葉をつかつてゐるし、もつと具体的な例をあげるならば、プレハノフは「芸術と社会生活」(蔵原惟人氏訳)の中で『フロオベルの「マダム・ボヴアリイ」とオーヂエの「ル・ジヤンドル・ド・ムシユウ・ポアリエ」
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