献しつゞけてゆくであらう。そして社会現象を統一的に理解せしめる最もすぐれた方法を与へたものは、少くも現在に於いてはマルクス主義の社会観であることを私は信じてゐる。
だがマルクス主義は、芸術も、宗教も、道徳も、科学も、別々に無関係に発達してゆくものではなく、相互に依存しあひ、相関々係のもとにおかれてゐるものであり、しかもこれ等をひつくるめての所謂上層建築[#「上層建築」に傍点]の変化は、経済的基礎の変化によつて条件づけられるものであることを教へはするけれども、社会の文化の各部門がそれ/″\の独自性を、従つて価値[#「価値」に傍点]を失つて、社会的価値[#「社会的価値」に傍点]といふ一つの価値しか成立し得ないなどゝは決して教へない。かやうな見方はたしかに日本の或るマルクス主義文芸批評家たちにその発見の全名誉が帰せらるべきものである。たとへばブハリンは、「史的唯物論」の中で文化の各部門の価値といふ言葉をつかつてゐるし、もつと具体的な例をあげるならば、プレハノフは「芸術と社会生活」(蔵原惟人氏訳)の中で『フロオベルの「マダム・ボヴアリイ」とオーヂエの「ル・ジヤンドル・ド・ムシユウ・ポアリエ」とその芸術的価値[#「芸術的価値」に傍点]に於いていづれが高く立つてゐるか?』とはつきり言つてゐる。
そこで芸術的価値とは何か[#「芸術的価値とは何か」に傍点]といふ問題が残される。
私の批判者たちは、芸術的価値を社会的価値に還元することによりてこの問題を簡単に片附けてしまつたが、さういふことなら、十頁の唯物史観の入門的パンフレツトを読んでもわかるし、テエヌの芸術論を二三十頁よんでもわかることなのであつて、あへて優秀なマルクス主義文芸批評家たちの頭脳を煩はすには及ばなかつたのだ!
とはいへ、実をいふと、私は芸術的価値とは何かといふ問ひに対して、十分説得的な答へをする準備をもつてゐない。この問題は非常に難しい問題であつて、まだこれに十分な解答を与へた人はないと言つてよい。だから私は、私自身が答へる代りに、プレハノフの言葉を断片的に拾ひ上げて、彼に答へさせることにする。
「ラスキンは見事に言つてゐる――少女は失はれたる愛について歌ふことはできる、しかし守銭奴は失はれたる金について歌ふことはできない、と。そして彼は正当にも、芸術的作品の価値はそれによつて表現さるゝ気分の高さによつて決定
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