れば、「芸術的価値」の優越してゐるために偉大なのである。キツプリングがすぐれた詩人であるのは、彼の詩がイギリスの帝国主義的思想を歌つてゐるだけのためではないと同じく、ゴリキイの小説が偉大なのは彼の作品が社会主義的思想に浸透してゐるだけのためではない。両者は、共通の芸術家としての偉大さをもつために、少なくも、そのためにも[#「そのためにも」に傍点]偉大なのである。私が「芸術的価値はマルクス主義イデオロギイや政治闘争と直接の関係をもたぬ」と言つたのは(この言ひ表はしかたが拙劣であるのは別として)その意味なのであるが、ロシヤのマルクス主義者のやうに寛容でも率直でもない日本のマルクス主義文学批評家たちは、この事実を認めることを、マルクス主義にとつて一大事であるかの如く誤解[#「誤解」に傍点]して、事実をおほひかくさうとこれつとめるのである。私はこの事実を認めたつて、マルクス主義の真実性はびくともするものでないことを以前も現在も十分に信じて疑はぬ。
 またある論者は、この価値を歴史的価値[#「歴史的価値」に傍点]といふカテゴリーの中へ編入することによりて、この問題のすべての困難をあつさり片附けようとする。だがその瞬間に論者は歴史的価値といふ言葉のもつ内容を無制限に拡大して、マルクス主義と相容れないものは凡べて歴史の中へ編入し、現代の大衆を活発に支配してゐる文学作品でも、明日の大衆を支配しつゞけてゆくであらうところの作品ですらも、一切合財、歴史的価値といふ合財袋の中へ入れてしまへば、それで問題は片附いてしまつたと考へるのである。だがこの種の人たちが過去帳の中へ記入してしまつた価値[#「価値」に傍点]が、現代の生きた大衆を生き生きと支配してゐることには、遂に彼等は気がつかぬのであり、気がついてもそれを公言するのをはゞかるのである。何故かと言へば、この種の人たちは事実よりも一つの公式の方が大事なのであつて、しかもこの公式は、事実の暗礁の中をよけて通つてゆかねばすぐに壊れてしまふ程脆弱なものだからである。
 今一つの場合を私は指摘しよう。或る作家たとへば片岡鉄兵、もしくは細田民樹といふ作家が、その文学的生涯の或る時期に、非マルクス主義陣営から、マルクス主義陣営に移籍し、はつきりしたマルクス主義的イデオロギイを獲得すると同時に、その所属団体の紀律に従つて爾後の文学的行動をつゞけて行つた
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