って見ます」
 こう言いながら上野探偵は麦藁《むぎわら》帽子を被《かぶ》って、急いでおもてへ出た。

        七

 上野は駅へつくと先《ま》ず売店で旅行案内を一冊買った。
 待合室には二人の知りあいの刑事が、一人の若い女と笑いながら何か話していたが、上野の姿を見ると、「あっ上野先生だ」と言いながら起《た》ちあがってお叩頭《じき》をした。
「貴女《あなた》が百合子さんですね?」探偵は女の方へむきなおって言った。「はあ」と女は低声《こごえ》で答えた。
「今汽車がつきますから、貴女は相手に見られないように僕のうしろにかくれていて木見という人間を私に教えて下さい。それから、あの男は山吹町の被害者の家へまっすぐに行くにきまっているから、君達も仰々《ぎょうぎょう》しくここであの男を引致するようなことはしないがいいぜ」と上野は二人の刑事に向って言った。
 そのうちに汽車が到着した。駅の構内は急にざわざわした。二人の刑事と上野とは改札口の近くに並んで立っていた。百合子は上野のうしろに身をかくして、二人の男の肩の間から眼だけ出して、改札口から出て来る人々を熱心に見張っていた。
「あれですよ。あの赧《あか》ら顔の肥った男です」と言いながら、彼女は上野の背を指でつついた。
 四人の眼は同時に百合子が今説明した人物にそそがれた。
 彼は、赤帽からトランクを受けとるや否や、急いで車をやとった。『山吹町』という声を四人ははっきりときいた。
「君たちはこれからタキシイであの男をつけて行きたまえ。そして向うでよく様子を見た上で、突然逮捕するんだ。早すぎてもおそすぎてもいけないよ。十分位様子を見ていたまえ、僕が署長には伝えておくからその点は心配ないよ。だが抵抗するかも知れんから、用心して四人位でかかるがいいよ。百合子さんはどうも御苦労でした。さあこれから私たちは本部へ帰りましょう」
 飯田町駅から二台のタキシーが飛んだ。一台は山吹町へ、一台は×××署の方向へ。上野はタキシーの中で、非常に敏捷に旅行案内のページをめくって、しきりに手帳に数字を写し取っていた。
 自動車が署の前でとまると、上野は急いでとびおりて佐々木警部の室《しつ》へかけこんだ。
「大宅はもうつれて来ましたか?」
「もう帰って来る時分です」と佐々木は柱時計を見ながら答えた。上野はいそいで言葉をつづけた。
「木見という男は山吹町へ行きましたから、貴方《あなた》の部下の刑事たちに様子を見せにやりました。大成功ですよ。もう三十分のうちに犯人は逮捕されます」
「いや、もう既に逮捕されてしまっているのです、ほら帰って来ました」
 一台の自動車が×××署の構内へ徐行してはいって来た。中からは私服刑事が四五人もぞろぞろ出て来た。一番あとから、真蒼な顔をしておりて来たのは大宅三四郎であった。
 大宅はすぐに一先ず留置所へ入れられた。「よく逃げようともしないでまごまごしていたね」と佐々木警部は一同を見まわしながら上機嫌で言った。
「ちょうど役所へ出るところだって言ってました」と一人の私服が汗を拭き拭きまるで自分の手柄のように言った。
「れこ[#「れこ」に傍点]に泣かれたのは弱ったなあ」と第二の私服が小指を出しながら、第三の私服に向って内密《ないしょ》で言った。「かわいそうに、ことによるとあの女も一生|後家《ごけ》さんで暮さにゃならんぜ」
「あの男には細君があるのかね?」と二人の会話を耳さとくききつけた上野探偵は、突然第二の私服にたずねた。
「細君かどうかは知りませんが、きれいなのがいました。別れるときに泣いて困りました」
「ふん」と言いながら上野は手帳の紙を一枚引きさいて、鉛筆を出して何か書きつけていたが、やがて、給仕をよんで、「君すまないが電報を一つうって来てくれ給え。至急報でね」と言いながら件《くだん》の紙片を渡した。それから佐々木警部に向って、「今の男の住所をちょっとこの子供に教えてあげて下さい、たしか田端《たばた》でしたね」と言った。佐々木はその通りにした。
 上野探偵が給仕に渡した紙片には「オオヤクンハムザイ、キヨウジユウニホウメンサルアンシンセヨ」と書いてあった。
「さて」と上野探偵は佐々木警部に向って言った。「もう僕の出る幕はすんだからお暇《いとま》しますかな。しかしちょっと申し上げておきたいことがありますから、どうか別室でお話ししたいと思いますが」
 二人はつれだって中へはいった。
「ほかでもないが」と上野探偵は座につくが早いか言った。「大宅君はなるべく早く家へ帰してあげて下さい。若い細君が心配しとるようですから、どんな間違いが起らんとも限りませんからな」
 佐々木は当惑そうに答えた。
「そりゃ嫌疑が晴れれば帰しますが、今のところではあの男が……」
「いや嫌疑はすぐ晴れますよ。今にほんとの
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