た今彼女が言った言葉の意味が、彼にははっきりとわかったような気がした。
二人は互に相手の言葉をおそれた。慰さめることも、責めることも、といただすことも敢《あえ》てし得なかった。ただめいめい自分の胸の中で全てを諒解してだまっていた。
六
その朝私立探偵|上野陽太郎《うえのようたろう》は、マドロスパイプをくわえながら、矢来《やらい》の通りの舗石道《しきいしみち》を大股に歩いていた。彼は必要のない時には何も考えないで出来るだけ頭を休めておくということをモットーとしていたので、今もそれを忠実に実行しているらしかった。
朝の新聞で光子殺害の記事を見て、彼は大急ぎで山吹町の兇行の現場へかけつけ、約二十分ほどの間、現場を精細に観察したり、見張りの警官に二三質問したりしてその場を引き上げ、これから今度の事件の捜査本部になっている×××警察署へ行くところなのだ。現場の視察からは彼は新聞紙に報道されている以外には、何等《なんら》新しい証拠をつかめなかったらしく、ただ古新聞を一葉拾って来ただけだった。
「何かかわったことが見つかりましたかね?」
上野の名刺をもって出て来た×××署の佐々木《ささき》警部に向って、彼は一寸《ちょっと》パイプを口からはずしてたずねた。
「そうですな。」と佐々木警部は相手にも椅子《いす》をすすめながら、自分も椅子に腰を下《おろ》して徐《おもむ》ろに言った。「例の手紙の差出人がやっとわかりましてね、これから検挙に向うところです」
「すると差出人は新聞に出ていたのとはちがうんですな?」
「そういうわけでもないのですが、何しろ相手が官吏ですからな、××省へ行って、本人が果して実在の人物か否かをしらべ、本人の自宅の番地などもききたださねばならず、筆蹟などもよくくらべて見て、愈々《いよいよ》それにちがいないことをたしかめるには、新聞記者があてずっぽうに書きなぐるのとはひまがかかる点は認めていただきたいですな」
「でその大宅という男に嫌疑がかかっているわけですな?」
「まあそうです。」
「ほかに何か新しい材料は?」
「別に……そうそう、今朝被害者宛に電報が来ましてね。発信人は矢張りキミという男で、甲府《こうふ》の駅から打っているのです。今朝の四時二十分の発信で、配達されたのは六時半頃だったそうです。文面はたしか『一○ジ二一フンイイダマチツクエキマデムカイタノムキミ』となっているんです。かわいそうにその男は情婦が殺されたのも知らずに帰って来てさぞ吃驚《びっくり》することでしょう。しかし、この男をといただして見れば、被害者の身許や、大宅との関係などももっと詳しくわかるかも知れませんから、証人として直《す》ぐに引致する手筈になっています。それに今のところ屍体の引取人もありませんから」
上野探偵はポケットから時計をとり出して見ながら言った。
「十時二十一分に飯田町《いいだまち》へつくんですね。で木見という男の人相はわかっているんですかい?」
「そりゃ大正軒の女給の話でわかっていますが、念のためにその女給に駅まで行って貰うことになっています」
「そりゃよかった……ではもうすぐ十時ですから、私もちょっと駅まで行って見ますかな、ここから歩いて行ってもまだ間にあいますね。ああそうそう。忘れていたが、手紙と電報とは矢張り被害者の懐中にあったのですな?」
「懐中と新聞にあるのは間違いで、袂の中にあったのです」と佐々木は新聞の報道の杜撰《ずさん》を証明するのはこの時だとばかり少しそり身になって言った。
「手紙の封筒に血で指紋がのこっていたというのはほんとうですか。今見張りの警官にきいてきましたが? しかも指紋は被害者の指紋ではなかったということですな?」
「そのとおりです」
「被害者の家の状差しは空っぽでしたが、あの中には屍体が発見された時から手紙類は一つもはいっていなかったのですか?」
「そうです」
上野はポケットから一葉の古新聞をとり出して警部に渡した。
「現場でこれを拾って来たのですがね、何かの参考になるかも知れませんからお渡ししときましょう」
佐々木警部は小さく折って折り目の大分《だいぶ》すれている××新聞を、大急ぎでひろげてずっと標題《みだし》に眼をとおしながら言った。
「昨日の新聞ですね、これは、何か変ったことでもでているのですか?」
「六面をよくごらんなさい。」
「ほほう、これは静岡版ですな。ここに何か出ているのですか?」
佐々木の視線はいそがしく活字の上を走った。
「何も出てはいないのですが、犯人が昨日静岡県からか、若《も》しくは静岡県下の駅を通過して東京へ来たものだということがこれでわかるじゃありませんか? 東京ではこの版は売っていませんからね。ところで、私は時間がありませんから、ちょっとこれから駅へ行
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