であるが、被害前日の日附にて、『明日《みょうにち》夕方帰りに寄ります』という文句が認《したた》められてあり、用箋には××省の用箋が使用してあった。大正軒女給の言った大宅某と同一人であろうと記者は察する。電報は、名古屋《なごや》駅発信で、発信時刻は当日午前七時二分、受信八時二十分で電文は『キユウヨウアリチユウオウセンニテマツモトヘユキアスアサイイダマチツクキミ』となっている。電文の末尾にあるキミとは請負師の木見のことではなかろうか」
「屍体《したい》にはメリンスの掛布団をかけて一見眠っているように見せかけてあった。兇行の発見を長びかすための犯人の小細工らしい。現場は非常に取り乱され、箪笥《たんす》、鏡台等の抽斗《ひきだし》はのこらずひき出して中味はまぜっかえしてあったが、紛失物もない模様であるからこれ亦《また》強盗の仕わざと見せかけるための犯人の詭計《きけい》らしい」
「同夜、山吹町で履物《はきもの》専門の空巣ねらいが逮捕されたが、同人は、被害者宅にてキッドの赤靴を一足盗んだという奇怪な陳述をしているので取調中である」
新聞の記事は大体以上のようなものであった。嘉子は靴のところを読んだときに思わず、昨夜大宅が玄関に脱ぎすてたままになっていた靴に目をやった。それはまだ買いたての新しい靴であることが一目でわかった。
――靴――ズボンの血――××省の用箋――大宅――嘉子は咽喉《のど》がつまってものが言えなくなった。
「おい、新聞を貸して御覧《ごらん》」
いつのまにか、三四郎も起きて、嘉子のうしろにたっていた。嘉子は思わず新聞をかかえた。
「お見せというに、何か出てるんだろ」
嘉子の全身がわなわな慄《ふる》えているので、大方の事情を察した三四郎は、つとめて冷静を装いながら追窮した。
「すみません、すみません……」
と言いながら、嘉子は新聞をそばにおいたままとうとうその場に泣き伏してしまった。
三四郎は非常に緊張して新聞の記事を読みおわった。彼は、自分に嫌疑がむいて来ることはもう覚悟していたのであったが、それでも新聞の記事を読むと胴慄《どうぶる》いがとまらなかった。が新聞記者が嘉子に少しも嫌疑をかけていないのを発見してほっとした。やっぱり嘉子ではないのかなと思って彼は嘉子の方をちらりと見た。嘉子はまだ顔をふせたまますすりないていた。矢張り嘉子だ。「すみません」とたっ
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