ができる。そこで、外部環境も、内部環境も換言すれば生物界の現象も無生物界の現象も、ひとしく因果関係によりて決定されてゐるといふことになる。それ故に、生物の場合に於ても無生物の場合に於ても、科学的研究の目的、実験的方法の目的は、ある現象を生起せしめる直接の原因を知ること、即ちこの現象がおこるために欠くべからざる条件を明かにすることである。実験科学の目的は、物事が何故[#「何故」に傍点]起るかを知ることではなくて、如何にして[#「如何にして」に傍点]起るかを知ることである。さういふわけで、実験的方法は無生物の研究にのみ限られた方法ではなくて、生物の研究にも用ゐ得る方法であり、これを用ふることによりて、生理学及び医学は真の科学になり得ると彼は主張するのである。
二
従来観察といふ方法のみしか用ゐられてゐなかつたやうに見える文学に、実験的方法を用ふることが可能であらうか? これが第一に起つて来る問題である。それには、観察及び実験のといふ言葉の意味を明かにしておく必要がある。
クロオド・ベルナアルによれば、観察とは、自然に生起するまゝの現象を研究する方法であり、実験とは、自然現象を或る目的をもつて変へてみたり、自然のまゝでは生じないやうな事情或は条件の中で、それ等の現象を起して見て、それを研究する方法である。たとへば天文学は観察の科学であり、化学は実験科学であるが如くである。換言すれば、実験方法とは、或る現象に関する私たちの解釈、推理の真偽をたしかめるためには、その現象を人為的におこして見て、それが私たちの解釈にあつてゐるか否かをしらべて見ることである。そこで科学研究は観察によりてはじまり、実験によりて完成されるといふ関係になるのである。
ゾラによれば、文学も同様に観察と実験との科学である。観察によりて事実が与へられる。出発点が与へられる。人物が活動し、事件が展開してゆくための確乎たる地盤が与へられる。ついで、人物を活動さして、その作品に於て研究せんとする現象の因果関係が要求するとほりに事件が継起してゆくか否かを検するのが実験的方法である。ゾラは、この関係を説明するために、バルザツクの「クージーヌ・ベツト」を例にとつてゐる。そして小説といふものは、人間を一定の個人的及び社会的環境において実験した実験報告書であると論じてゐるのである。
勿論、実験小
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