一派を唯物論者であると批難した。これに対してクロオド・ベルナアルは次のやうに反駁してゐる。
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『生気論者たちは、生命といふものを、何物にも決定されないで、自由自在にはたらいてゐる神秘的な、超自然的な一種の力であると考へ、生命現象を一定の有機的及び理化学的条件にむすびつけて説明しようとする人々を唯物論者だと批難してゐる。これは謬つた考へであるけれども、一旦それにとりつかれると容易にそれを根絶することはできぬ。たゞ科学の進歩のみがかゝる謬想を消滅させるであらう。』
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然らば科学の進歩は私たちに何を示したであらうか? ゾラは、これを、 椽大の筆をふるつて次の如く要約してゐる。
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『前世紀(十八世紀をさす)に於て、実験的方法の正確なる応用によりて、化学及び物理学が生れ、この方面に於ては、不合理な超自然的な説は影をひそめた。分析のおかげによりて、物理化学的現象には一定の法則があることが発見され、様々な現象が明かにされた。ついで新しい一歩が踏み出された。今尚ほ生気論者たちが神秘的な力を認めてゐる生物体も亦、物質の一般的機構によりて説明され、それに還元せしめられた。科学は、生物体に於ても無生物体に於ても、一切の現象の存在条件は同じであることを証明し、それによりて、生理学は徐々に、化学や物理学のやうな確実性を帯びて来た。しかしそれで、進歩は停止したゞらうか? 決してさうではない。人間の肉体の機構がわかつて来ると、今度は、人間の情的及び知的のはたらきに移つてゆかねばならぬ。さうなつて来ると、私たちは、これまで哲学及び文学に属してゐた領域にはいつてゆくことになり、科学によりて、哲学者や文学者の臆測が決定的に征服されることになる。今日私たちは実験物理学及び実験化学を有してゐる。そのうちに私たちは実験生理学を有するやうになり、更に進んで実験小説を有するやうになるであらう。凡てが関連してゐるのである。私たちは、生物体の決定性を知るためには、無生物体の決定性から出発しなければならなかつた。而して、今や、クロオド・ベルナアルのやうな学者が、人体にも一定の法則がはたらいてゐるといふことを示したのであるから、私たちは、この次には思想及び感情の法則がつくられるやうになるだろうと断言しても、謬るおそれはないのである。道端の石にも人間の
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