が点在している。右手は遠く松林、草原が断続して、天気の好い日ならばその果てに松本の市街が小さく見え、安曇野を隔てて遠く、有明山、屏風岳、槍ヶ岳、常念ヶ岳、蝶ヶ岳、鍋冠山などが攅簇《さんそう》して、山の深さの幾許あるか知れない様を見せているのだが、これらの山影も今日は半ば以上雲に包まれて見えない。ただ空の一角、私たちの行く手に当って青空が僅に微《ほの》めいているだけである。
この頃の中仙道の路上は到る処白衣の道者の鈴声を聞かない事はない。金剛杖を突き、呪文を唱えながら行く御嶽道者らで、その鈴声に伴われて行けば知らず知らずに木曾路に這入ってしまうのである。
桔梗が原の尽頭第一の駅路は洗馬《せば》である。犀川《さいがわ》の源流の一つである奈良井川は駅の後方に近く流れ、山がやや迫って山駅の趣が先ず目に這入る。駅は坂路ですこぶる荒廃の姿を示している。洗馬を通り抜けると、牧野、本山、日出塩等の諸駅の荒廃の姿はいずれも同じであるが、戸々|養蚕《ようさん》は忙しく途上断えず幾組かの桑摘《くわつみ》帰りの男女に逢う。この養蚕はこれら山駅の唯一の生命である。
離落たる山駅の間を走って中仙道は次第に山
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