とが出來得よう。水の不斷の凱歌が谿間には鳴り響いてゐる。
 國境の川を渡つて、田口の停車場まで半里程の間、次第に地勢が平かになつて、降るべき場所まで降つて、もうこれ以上は海へ走るより仕方がないと云ふ感じをさせる。
 今朝、山を包み、空を包み、林も、森も、野も、路も、村落をも沒してゐた執念《しつこ》い霧は、妙高の頂に逃げ集つてゐたが、正午を過ぎる頃から、又其頂を下りて、そろ/\山の中腹を包み、山を離れて廣く中空に浮び出で、麓の谿に怪しい影を落し、次第々々に里を目がけて降りて來た。そして廣い天地を包んでゐたのが、此一山に集合せしめられたので、色は一層濃くなり、黒くなつて、忽ちに山の姿を全く隱してしまつた。涼しい風が、雨氣を含んだ風が、其中から吹き下して來た。日の光も薄くなつて、川の水は輝かしさを消してしまつた。
 田口の停車場へは、山から降りて來たと思はれる、足支度をした人や、何處の登山口にでも見るやうな人を乘せて來た馬が二三頭、近くの立木に繋いであつた。そして温泉の香を匂はせた若い男達が、荒い皮膚をして、それでゐて生々とした光澤《つや》を見せて、酒にでも醉つたやうな顏をして、幾人も集つて
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