里ぐらゐある」といつたが、また黙つてゐる。「ええ、何里ぐらゐあるんだえ」と稍強くいふと、「知らねえ」と先の児が言つた。
風に背を向けてマツチを擦つて煙草に吸ひ付けた。
川土堤を一里も来たかと思ふと、向ふから荷を背負つた男が杖をつきながらやつて来た。路を訊くと、もう直ぐ先きが県道で、それから半里も行けば田原の町だと教えてくれた。
間も無く電線の走つてゐるのが目にはいつた。白い県道の上を月の光の下に、コト/\音をさせながら荷馬車が通つて行く。私達はほつと息をついた。県道の右手に当つて低いけれど山が見える。
田原の町には電燈が明るくついてゐて、賑かに人が往き来してゐた。草鞋をぬいで宿屋の二階で二人が向ひ合つた時は、生き更《かへ》つたやうな思ひがした。
風と争つて一日の旅は頭を重くしてしまつた。うと/\眠つてゐると、夢の中で、流砂が降り、風が鳴つてゐた。暖かな半島の旅を予想して、外套だけは雨の用意に着て来たが、手袋も持たず、襯衣《しやつ》も薄くして来た。手の甲がピリ/\痛み出し、顔は皺ばつた。二階を降りるに足は重かつた。田原の町は渡辺華山の生地で、その記念碑もあると聞いたが、見に行く元気もなかつた。
赤羽根へ出て「裏浜」を廻り、伊良湖村まで行くには八九里あると宿の番頭が来て話した。「何なら赤羽根まで人力でお出でになつては如何です、此処から四里の間は車がきゝますから」と付け加へた。
人力車で赤羽根まで行くことにした。
昨日ほどではないが、風が冷たく吹いてゐる。昨夜は月の光でぼんやりと、海の向ふかと思はれてゐた[#「思はれてゐた」は底本では「思はれてるた」]山影が田原の町の背後を繞らしてくつきり見えてゐる。知多湾の水は、その山の麓を切れ込んで、町の端まで蘆が生えた浅瀬になつてはいつて来てゐる。
車は県道の上を一里ばかり南へ走つてから右へと折れ込んだ。背後から追掛けて来る風は、半島を吹き越えて海へ海へと落ち込んで行くのだ。道に沿うて新墾地の寂しさを見せてゐる板小舎や、掘返された草土や、まだ鎌のはいらない藪や、松の樹の切り倒されたのや、それ等が続いて居るばかり、雲雀一つ鳴いてゐない。処々に零《こぼ》したやうに立つてゐる赭ちやけた砂山と、ひらみつくやうに生えてゐる樟《くす》や樫の森などの続いてゐる果てなる空、南の方は天《そら》が鶏卵《たまご》色に光を帯びて、その下
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