て、正體がないからだ。
今日も由三は十一時頃に起きて、其から二三時間もマジリ/\してゐて、もう敷島の十二三本も吸ツた。吸殼は火鉢の隅に目立つやうに堆《かさ》になツて、口が苦くなる、頭もソロ/\倦《たる》くなツて來て、輕く振ツて見ると、后頭が鉛でも詰めてあるやうに重い。此うなると墨を磨るのさへ懶《ものう》い、で、妄《むやみ》と生叺《なまあくび》だ。臺所|傍《わき》の二|畳《じよ》でも母親が長い叺をする……眼鏡越しに由三の方を見て、
「隣りのお婆さん、何うなすツたかナ。」と獨言《ひとりごと》のやうにいふ。返事がなかツたので、更に押返して
「亡《な》くなツたかナ。」
と頼りなげな聲だ。
「何うだツて可いぢやありませんか、他《ひと》のこと。」
由三はうるさ[#「うるさ」に傍点]ゝうに謂ツて、外《そと》を見る。青《あを》い空、輝く日光《にツくわう》……其の明い、静な日和《ひより》を見ると、由三は何がなし其の身が幽囚でもされてゐるやうな感じがした。
「でも怖《こわ》いからノ。」と母親は重い口で染々《しみじみ》といふ。
「氣を付けてさへゐたら大丈夫です。」
「其は然うだがノ。」と不安らしい。
「大丈夫ですよ。赤痢といふものは、氣を付けてさへゐたら、決して罹りもしなければ、傳染するものではありません。」
「然うかノ。」
と謂ツて母親は黙ツて了ツた。隣りの婆さんといふのは、赤痢に罹ツたのを一週間も隱匿《かく》してゐて、昨日の午後避病院に擔込《かつぎこ》まれたのであツた。避病院は、つい近所にある。坐ツてゐても消毒室の煙突だけは見える。
「嫌だノ。」と母親はまた心細さうに、「今年は能く人が死なツしやるナ。気候の悪い故でもあるかノ。」
と謂ツて小聲で念佛を稱へる。
「そりや死にもするけれど、生れた家《とこ》も随分あるさ。」
と由三はお産のあツた家《うち》を六軒ばかり數へた。そして、「此の長屋中にだツて、春から三人も生れたぢやありませんか。」
と言《い》足した。近所から傳染病が出た故《せい》でもあることか、其處らに人が住むでゐるとは思はれぬやうに静だ。其の静な中《なか》に、長屋の隅ツこの方から、トントン、カラリ……秋晴の空氣を顫はせて、機《はた》を織る音かさも田舎びて聞えて來る。
由三[#「由三」は底本では「山三」]は眼を瞑《つぶ》ツて、何んといふ纒《まとまり》のないことを考
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