工になツてゐるといふことであツた。由三は何んといふ意味もなく、たゞ靜な邸町に住はうと思ツてゐたので、家を探しがてら綾さんの家の前を通ツた。そしてフラ/\と立寄ツて見る氣になツた。家は以前から見ると、づツと癈頽して、今にも倒れるかと思はれるやうに傾いてゐた。たゞ葡萄棚だけが繁りに繁ツて、小さな薄暗い家を奥深く見せてゐた。葡萄園を葭簀《よしず》で圍《かこ》ツて氷店にして、氷をかく臺もあればサイホンの瓶も三四本見えた。棚には葡萄酒やら苺水やらラムネの瓶やら、空罎にペーパだけ張ツた、罐やらが二三十本も並べてあツて、店頭《みせさき》には古ゲツトを掛けた床几の三ツも出してあツた。綾さんは店頭に盥を持出して、ジヤブ/″\何やら洗濯をしてゐた。見ると様子がスッカリ違ツてゐる。中形の浴衣《ゆかた》を着てゐたが、帯の結び方、頭髪《かみ》、思切ツて世話に碎けてゐた。
 由三の姿を見ると、呆氣《あつけ》に取られた體で、「まあ、由さん、何うなすツたの。」
と謂ツたが、音《おん》の出方《でかた》まで下司な下町式になツて、以前凛とした點《とこ》のあツた顔にも氣品がなくなり、何處か仇ツぽい愛嬌が出來てゐた。たゞパッチリして眼だけは、處女《むすめ》の時其のまゝの濕みを有ツて、活々《いき/\》として奈何にも人を引付ける力があツた。
 家の裡には矢張|鳥籠《とりかご》が幾ツもかけ[#「かけ」に傍点]てあツて、籠を飛廻ツてゐる目白の羽音が、パサ/\と靜に聞えた。前からある時計もチクチク鈍い音で時を刻むで、以前は無かツた月琴の三挺も壁にかゝツてゐた。
 父は火鉢の許《とこ》に坐ツて、煙草を喫しながらジロリ/″\由三の樣子を瞶めて、ちよツくら口を利《き》かうともしない。そして時々ゴホン/″\咳込むで、蒼《あを》ざめた顔を眞ツ紅にしてゐた。前から無愛想な人だ。顔にはむくみ[#「むくみ」に傍点]が來てゐた。
 由三は、其の甚《ひど》く衰弱してゐるのを見て、
「お惡いんですか。」と訊《き》くと、
「あ、」と横柄に謂ツテ、「肺に熱を持ツたといふことでな。」
と平氣で謂ツてケロリとしてゐる。
「可けませんナ。」
と顔を顰めると、
「何有《なあに》」と被《かぶ》せて「養生さへすれば可いといふことだが、何分家が此の通ぢやて、思はしく行かんのでナ。」
と隔《へだて》なく謂ツて苦笑する。
 娘や家内は浴衣がけてゐるといふに、こ
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