ですから、暖《あつたか》い間《うち》に召喫《めしあが》ツて頂戴な。ね、貴方《あなた》。」と少し押へた調子でせつく[#「せつく」に傍点]やうにいふ。
「ビフテキが燒いてある?………ほ、それは結構《けつこう》だね。お前は胃《い》の腑《ふ》も強壯な筈だから、ウンと堪能《たんのう》するさ。俺は殘念ながら、知ツての通り、半熟《はんじゆく》の卵と牛乳で辛而《やつと》露命《ろめい》を繋《つな》いでゐる弱虫だ。」と皮肉《ひにく》をいふ。
「ま、何處《どこ》まで根性《こんじやう》がねぢくれてゐるのでせう。」と思ひながら、近子は瞥《ちら》と白い眼を閃《ひらめ》かせ、ブイと茶の間の方へ行ツて了《しま》ツた。遂々《とう/\》むかツ[#「むかツ」に傍点]腹《ぱら》を立てゝ了《しま》ツたので。
俊男は苦い顏で其後を見送ツてゐて、「俺《おれ》は何を此樣《こん》なにプリ/\憤《おこ》ツてゐるんだ。何を?………自分ながら譯の解《わか》らんことを謂《い》ツたもんぢやないか。これも虚弱から來る生理的作用かな。」
と思ツて、また頽然《ぐつたり》考込む。
薄暗いやうな空に午砲《ドン》が籠《こも》ツて響いた。
「成程お午《ひる》だ。」と呟《つぶや》き、「近《ちか》の腹の減《へ》ツたのが當前で、俺《おれ》の方が病的なんだ。一體俺の體は何故《なぜ》此樣《こん》なに弱いのだらう。」
俊男の頭の中には今、自分が病身の爲に家庭に於ける種々《さま/″\》なる出來事を思出した。思出すと其《それ》が大概《たいがい》自分の病身といふに基因《きゐん》してゐる。
「俺は何故《なぜ》此樣《こん》なに體が弱いのだらう。」と倩々《つく/″\》と歎息《たんそく》する。
「一體|俺《おれ》は何《ど》うして何樣《こん》なに意固地《いこぢ》なんだらう。俺が惡く意固地だから、家が何時《いつ》もごたすた[#「ごたすた」に傍点]してゐる。成程俺は妻《さい》を虐《いび》り過ぎる………其《そ》ンなら妻が憎《にく》いのかといふに然《さ》うでもない。豈夫《まさか》に追《お》ン出す氣も無いのだから確《たしか》に然《さ》うでない。雖然《けれども》妻に對して一種の反抗心を持ツてゐるのは事實だ………此反抗心は弱者が強者に對する嫉妬《しつと》なんだから、勢《いきほひ》憎惡《ぞうを》の念が起る………所詮《つまり》俺《おれ》は妻が憎いのでなくツて、妻の強壯な體を憎むでゐるのだ。」
俊男《としを》は見るともなく自《おのづ》と庭《には》に蔓《はびこ》ツた叢《くさむら》に眼を移して力なささうに頽然《ぐつたり》と倚子《いす》に凭《もた》れた。
底本:「明治文學全集72 水野葉舟・中村星湖・三島霜川・上司小劍集」筑摩書房
1969(昭和44)年5月25日第1刷発行
入力:小林徹
校正:山本奈津恵
1999年6月17日公開
2001年2月23日修正
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