つと》の傍《そば》を離れて、椽側《えんがは》を彼方《あつち》此方《こつち》と歩き始めた。俊男《としを》はまた俊男で、素知らぬ顏で降《ふり》濺《そゝ》ぐ雨に煙る庭の木立《こだち》を眺めてゐた。
此の突《つ》ツ放《ぱな》すやうな仕打をされたので、近子は些《ちつ》と拍子抜《ひやうしぬけ》のした氣味であつたが、何《な》んと思つたのか、また徐々《そろ/\》所天《をつと》の傍へ寄ツて、「貴方《あなた》は、何《な》んかてえと家《うち》が淋しい淋しいツて有仰《おつしや》いますけれども、そりや家に病身の人がゐりや、自然《しぜん》陰氣《いんき》になりもしますわ。」
別に深い意味で謂《い》ツたのでは無かツたが、俊男は何んだか自分に當付《あてつ》けられたやうに思はれて、グツと癪《しやく》に障《さわ》ツた。
「フム、其《それ》ぢや何《な》んだな、お前は俺《おれ》が此の家を陰氣にしてゐるといふんだね。」と冷靜に謂《い》ツて、さて急に激越《げきえつ》した語調となる。「成程《なるほど》一家《いつか》の中《うち》に、體の弱い陰氣な人間がゐたら、他《はた》の者は面白くないに定《きま》ツてゐる。だが、虚弱《きよじやく》なのも陰欝《いんうつ》なのも天性《てんせい》なら仕方がないぢやないか。人間の體質や性質といふものが、然《さ》うヲイソレと直されるものぢやない。俺《おれ》の虚弱なのと陰鬱なのとは性得《うまれつき》で、今更自分の力でも、また他《ひと》の力でも何《ど》うすることも出來やしない。例《たと》へばお前の頬《ほ》ツぺたの紅《あか》いを引《ひ》ツ剥《ぺ》がして、青くすることの出來ないやうな。」と細《こまか》に手先を顫《ふる》はせながら躍起《やつき》となツて叫ぶ。
「ま、貴方《あなた》も大概《たいがい》にしときなさいよ。私は貴方《あなた》の體の虚弱なことや氣難《きむづか》しいことを惡いとも何《な》んとも謂《い》ツたのぢやありません。ただ貴方《あなた》が家《うち》が淋しくツて不愉快だと仰有《おつしや》ツたから、それは誰の故《せい》でもない、貴方《あなた》御自身の體が惡いからと謂《い》ツたまでのことなんです。男らしくもない、弱い者いぢめも好《い》い加減《かげん》になさるものですよ。」とブツ/\いふ。其の態度が奈何《いか》にも冷《ひやゝか》で、謂《い》ふこともキチンと條理《でうり》が立ツてゐる。
俊男は其の怜《さか》しい頭が氣に適《く》はぬ。また見たところ柔和《にうわ》らしいのにも似ず、案外《あんぐわい》理屈《りくつ》ツぽいのと根性《こんじやう》ツ骨《ぽね》の太いのが憎《にく》い。で、ギロリ、其の横顏を睨《にら》め付けて、「然《さ》うか。それぢやお前は、俺《おれ》は馬鹿でお前が怜悧《れいり》だといふんだね。宜《よろ》しい、弱い者いぢめといふんなら、俺《おれ》は、ま、馬鹿になツてねるとしやう。俺《おれ》の方が怜悧《れいり》になると、お前は涙といふ武器で俺を苦しめるんだからな。雖然《けれども》近《ちか》、斷《ことは》ツて置くが、陰欝《いんうつ》なのは俺の性分で、書《しよ》を讀むのと考へるのが俺の生命だ。丁度お前が浮世《うきよ》の榮華《えいぐわ》に憬《あこがれ》てゐるやうに、俺は智識慾に渇《かつ》してゐる………だから社交も嫌《いや》なら、芝居見物も嫌さ。家を賑《にぎやか》にしろといふのは、何《なに》も人を寄せてキヤツ/\と謂《い》ツてゐろといふのぢやない。お互《たがひ》の間《なか》に暖《あつたか》い點《とこ》があツて欲しいといふことなんだ………が、俺《おれ》の家では、お前も獨《ひとり》なら、俺も獨《ひとり》だ。お互に頑固に孤獨を守ツてゐるのだから、從《したが》ツてお互に冷《ひや》ツこい。いや、これも自然の結果なら仕方が無い。」
「何故《なぜ》お互に獨《ひとり》になツてゐなければならないのでせう。」
「色が違ふからさ。お前は紅《あか》い、俺は青い。」
「それぢや何方《どつち》がえらいのでせう。」
「そりや何方《どつち》だか解《わか》らんな。何方《どつち》でも自分の色の方にした方がえらいのだらう。」
「恰《まる》で喧嘩《けんくわ》をしてゐるやうなものですのね。」
「無論|然《さ》うさ、夫婦といふものは、喧嘩をしながら子供を作《こさ》へて行くといふに過ぎんものなんだ。」
「では私等《わたしたち》は何《ど》うしたのでせう、喧嘩はしますけれども、子供は出來ないぢやありませんか。」
「恐らく體力が平均しないからだらう。お前からいふと、俺《おれ》が虚弱《きよじやく》だからと謂《い》ひたからうが、俺からいふとお前が強壯《きやうさう》過《す》ぎると謂《い》ひたいね。併《しか》し他一倍《ひといちばい》喧嘩《けんくわ》をするから可《い》いぢやないか。夫婦の資格は充分だ………他人なら此樣《こん》なに衝突
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