《い》つて勿論嬉しいといふやうなことも思ツて居らぬ。たゞ一種淋しいといふ感に強く壓付《おしつ》けられて、妄《むやみ》と氣が滅入《めい》るのであツた。
「何故《なぜ》家は此《か》うなんだらうと、索寞《さくばく》といふよりは、これぢや寧《むし》ろ荒凉《くわうりやう》と謂《い》ツた方が適當だからな。」と呟《つぶや》き、不圖《ふと》また奧を覗《のぞ》いて、燥《いら》ツた聲で、「喧《やかま》しい! おい、止《よ》さんか。其樣《そん》なもの………」と喚《わめ》く。
返事は無くツて、バイヲリンの音《ね》がバツタリ止む。
俊男はまた頽默《ぐつたり》考込むだ。絲のやうな雨が瓦を滑《すべ》ツて雫《しづく》となり、霤《あまおち》に落ちて微《かすか》に響くのが、何かこツそり囁《さゝや》くやうに耳に入る。
少時《しばらく》すると、
「貴方《あなた》、何を其樣《そん》なに考込むでゐらツしやるの。」
此《か》う呼掛けて、ひよツくり俊男の前に突ツ立ツたのは妻《さい》の近子《ちかこ》で。
俊男《としを》はヂロリ妻の顏を見て、「別に何も考へてゐやしないさ。」
「でも何《な》んだか妙な顏をしてゐらツしやいますのね。」
「そりや頭が重いからさ。ところへ上手《じやうず》でもないバイヲリンをギコ/\彈《や》られるんだから耐《たま》らんね。」
近子は些《ちよい》と嫌な顏をして、「それでも貴方《あなた》、何《ど》うかすると彈《や》れツて有仰《おつしや》ることがあるぢやありませんか。」
「そりや機嫌の好《よ》い時のことさ。」と輕《かろ》く眞面目《まじめ》にいふ。
「まア。」と近子は呆《あき》れて見せて、「隨分《ずゐぶん》勝手《かつて》なんでございますね。」
「當然《あたりまへ》さ。恐らく近頃の人間で勝手でない者はありやしない。」
「然《さ》うでせうか。」と空恍《そらとぼ》けたやうにいふ。
「然《さ》うさ。お前だツて俺《おれ》の大嫌《だいきらひ》なことを悦《よろこ》んで行《や》ツてゐることがあるぢやないか。現《げん》に俺《おれ》が思索《しさく》に耽《ふけ》ツてゐる時にバイヲリンを彈《ひ》いたりなんかして………」
「それは濟《す》みませんでしたのね。私《わたし》はまた此樣《こん》な天氣で氣が欝々《うつ/\》して爲樣《しやう》が無かツたもんですから、それで。」と何か氣怯《きおそれ》のする躰《てい》で悸々《おど/\》しなが
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