い。それでゐて青葉が繁《しげ》りに繁《しげ》ツてゐる故《せい》か庭が薄暗い。其の薄暗い中に、紅《べに》や黄の夏草の花がポツ/\見える。地べたは青く黒ずむだ苔《こけ》にぬら/\してゐた………眼の前の柱を見ると、蛞蝓《なめくぢ》の這《は》ツた跡《あと》が銀の線のやうに薄《う》ツすりと光ツてゐた。何を見ても沈《しづむ》だ光彩《くわうさい》である。それで妙に氣が頽《くづ》れて些《ちつ》とも氣が引《ひ》ツ立たぬ處へ寂《しん》とした家《うち》の裡《なか》から、ギコ/\、バイヲリンを引《ひ》ツ擦《こす》る響が起る。
「また始めやがツた。」と俊男は眉《まゆ》の間に幾筋《いくすぢ》となく皺《しわ》を寄せて舌打《したうち》する。切《しきり》に燥々《いら/\》して來た氣味《きみ》で、奧の方を見て眼を爛《きら》つかせたが、それでも耐《こら》えて、體を斜《なゝめ》に兩足をブラり椽《えん》の板に落してゐた。
俊男は今年《ことし》三十になる。某《ぼう》私立大學《しりつだいがく》の倫理《りんり》を擔任《たんにん》してゐるが、講義の眞面目《まじめ》で親切である割《わり》に生徒の受《うけ》が好《よ》くない。自躰《じたい》心に錘《おもり》がくツつい[#「くツつい」に傍点]てゐるか、言《ことば》にしろ態度にしろ、嫌《いや》に沈むでハキ/\せぬ。加之《それに》妙にねち/\した小意地《こいぢ》の惡い點があツて、些《ちつ》と傲慢《ごうまん》な點もあらうといふものだから、何時《いつ》も空を向いて歩いてゐる學生《がくせい》等《ら》には嫌はれる筈だ。性質も沈むでゐるが、顏もくすむでゐる、輪廓《りんくわく》の大きい割に顏に些《ちつ》ともゆとりが無く頬《ほゝ》は※[#「※」は「炎」に「りっとう」、230−下13]《こ》けてゐる、鼻は尖《とが》ツてゐる、口は妙に引締ツて顎《あご》は思切つて大きい。理合《きめ》は粗《あら》いのに、皮膚の色が黄ばんで黒い――何方《どちら》かと謂へば營養不良《えいやうふりやう》といふ色だ。迫《せま》ツた眉には何《な》んとなく悲哀《ひあい》の色が潛《ひそ》むでゐるが、眼には何處《どこ》となく人懷慕《ひとなつこ》い點《とこ》がある。謂《い》はゞ矛盾《むじゆん》のある顏立だ。恐らく其の性質にも、他人には解《わか》らぬ一種の矛盾があるのではあるまいか。
彼は今別に悲しいとも考へてゐない。然《さ》うかと謂
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