來たか知らぬが、兎に角もう螢籠《ほたるかご》には、螢が、恰《ちよう》ど寶玉のやうに鮮麗な光を放ツてゐる。體《からだ》も大分疲れて來たから、ふと氣が付《つ》いて其處《そこ》らを見廻すと、夜も大分|更《ふ》けてゐた。村の方を見ても、灯《ともし》の光も見えなければ、仲間の者が螢を呼ぶ聲も聞えない。自分は何時《いつ》か獨《ひとり》になツて了《しま》ツて闇の中に取殘されてゐたのであツた。
「おや、また深入して了ツた。」
と、はツ[#「はツ」に傍点]と思ツて驚いたツて始まらない。また淋しい思をして歸る事かと思ふと、意久地無く、たゞ心細くなツて來る。
「あゝ! 心細い。」
何方《どつち》を向《む》いたツて、人の影が一つ見えるのではない。何處《どこ》までも眞《ま》ツ暗《くら》で、其の中に其處《そこ》らの流の音が、夜の秘事《ひめごと》を私語《ささや》いてゐるばかり。空は爽《さはやか》に晴渡《はれわた》ツて、星が、何かの眼のやうに、ちろり、ちろり瞬《またたき》をしてをる。もう村の若衆等《わかいしゆたち》が、夜遊《よあそび》の歸途《かへり》の放歌《うた》すら聞《きこ》えない。螢も急に少《すくな》くなツて、偶時《たま》に飛んで來る其《それ》も、何か光が薄《うす》くなツたやうに思はれる。
此樣《こん》な時に、もし家《うち》から誰か迎《むかひ》に來て呉れたら、自分は何樣《どん》なに悦《うれ》しかツたか知れぬ。併し其樣《そん》な事を幾ら考へてゐたツて無駄だ。到底《とても》其の望は無いから、自分は淋しいやうな怖《こわ》いやうな妙な心地で、斷《た》えずびくつき[#「びくつき」に傍点]ながら、悄々《しほ/\》とお家《うち》の方へ足を向けた。心はもう臆病風に取ツかれてゐるので道端《みちばた》の草が、ザワザワと謂ツても自分はひやり[#「ひやり」に傍点]ツとして縮上る。然《さ》うするとまた、薄氣味《うすぎみ》の惡い事ばかりが、心に浮んでならない。落着いて歩いてゐられなくツて、とう/\すたこら[#「すたこら」に傍点]駈出して、一散に走ツて行くと、幾ら行《い》ツても村道へ出ない。此《か》うなると、狼狽《うろたへ》る、慌《あわ》てる、確《たしか》に半分は夢中になツて、躓《つまず》くやら轉《ころ》ぶやらといふ鹽梅《あんばい》で、たゞ妄《むやみ》と先を急いだが、さて何《ど》うしても村道へ出ない。幾ら考へたツてもう血迷《ちまよ》ツてゐるのだから、確《たしか》な事が考へられる筈が無い。自分は愈々《いよ/\》解らない道へ踏込むで了ツた。
「狐《きつね》に、魅《ばか》されたのぢやないか。」
と考へると、心細くなツて、泣出したくなる。徑《こみち》が恰ど蜘蛛《くも》の巣のやうになツてゐて、橋が妄《むやみ》とある土地だから、何んでも橋も渡り違へたのか、徑《こみち》を曲損《まがりそこ》ねたか、此の二つに違《ちがひ》なかツたのだが、其の時は然《さ》うは思はず、頭《あたま》から狐に魅《ばか》されたと思込むで了ツて、自分は氣を確《たしか》に持ツた積で、ただ無茶苦茶に歩《ある》いた。めくら滅法に先を急いだ。
それでも時々、突《つ》ツ立《た》つては方角を考へ、目標《めじるし》を考へながら歩《ある》いたけれども、何うしても何時《いつ》も歸《かへ》る道とは違ツて居た。
其のうちにだん/\と空が狹くなツて來て、左を向いても、右を向いて見ても、山の影が、黒くうぬ[#「うぬ」に傍点]/\としてゐる。自分は谷間《たにま》のやうな處を歩いてゐるやうになツた。それと氣が付くと、
「おや、おや、變な處へ來たぜ。此處《ここ》は何處《どこ》だらう、何處へ來ちやツたんだらう。」
固《もと》より星光《ほしあかり》だから能《よ》くは解《わか》らぬが、後《うしろ》の方へ振向いて見ても、矢張《やつぱり》黒い山影が見える。自分は愈々《いよ/\》弱ツて了《しま》ツた、先へ進むで可《い》いのか、後《あと》へ引返して可《い》いのか、それすら解《わか》らなくなツて了ツた。もう喚《わめ》いても泣いても追付《おつつ》きはしない。
何處《どこ》かの森で梟《ふくろ》の啼いてゐる。それが谷間に反響して、恰どやまびこ[#「やまびこ」に傍点]のやうに聞《きこ》える。さて立ツてゐても爲方《しかた》が無いから、後《あと》へ引返す積りで、ぼつ[#「ぼつ」に傍点]/\歩《ある》き始めたが方角とても確《しか》と解ツてゐなかツた。其の氣の揉《も》めること情ないことゝ謂ツたら無い。
薄氣味《うすぎみ》惡くはある、淋しくはある、足は疲《つか》れて來る、眠くはある。加之《それに》お腹《なか》まで空《す》いて來るといふのだから、それで自分が何樣なに困りきツたかといふ事が解《わか》る。何《ど》うかすると自分の履《は》いてゐる草履がペツタ/\いふのに、飛上るやうに吃驚
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