、其所に三四月居る中に、何であつたか書き初めた。
それで、其時は最う生活費の方は盡きて、桐生君の所を出てから、七月ごろ七軒町へ家を持つて、翌年の四月まで、約十ヶ月其所に居つた。其時一家四人、露骨に云ふと殆んど三度の食事も食ひ兼ねた。それは、僕の最も暗黒時代で、未だ一家を支へるだけの腕はなし、頭は固らず、讀んで修養すべき書物はなし、不安恐懼に滿ちた生活をして居た。
其時のことである。名は差支へあつて言はれぬが、某と云ふ。僕の同郷の襌坊主と共に、食ふに困つて托鉢に出やうと云ふので、袈裟や衲衣もすつかり買つて、僕は經なぞ稽古したが、何分俄仕度くなので、どうもうまく[#「うまく」に傍点]覺えられない。それで證道歌の正心銘を紙に小さく書いて、笠の裏へ張つたものである。そして、市内では巡査が喧ましいから、府下を歩かうと云ふので、明日から愈々托鉢に出ると云ふことまですつかり定めて、總ての準備は整つたが、都合があつて止して了つた。
それから、何うしても、書かねば食へないやうになつて初めて書いたものが、「一つ岩」である。
次に書きかけたのは、長いものであつたが止して、其中に「埋れ井戸」と云ふもの
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