を書いて桐生君の紹介で春陽堂に賣つた。其賣方が、僕の才の方をば推稱せずして文學が非常に熱心で其爲め財産を總て蕩盡したとか、何とか云つて賣込んだものである。それで、石橋忍月氏が大いに同情して、其年の懸賞小説の中に入れて發表された。僕の作として最初のものは、「一つ岩」なのだが、「一つ岩」はそれから二ヶ月ばかりして、「紅葉先生」に見て貰つて所が、面白いからと云ふので、「世界の日本」に賣つて貰つて、原稿料を二十圓得た。「埋れ井戸」の方で三十圓貰つたが實に嬉しかつた。
「一つ岩」を賣つた縁故で、佐久間秀雄と云ふ人に二三度會つた。そして、佐久間氏に口があつたらと頼んで置いた所が、恰度竹越三又氏が人民新聞(東京新聞の改題)をやることになつたから入らぬかと云ふ。そこで表面竹越氏の推薦で入社した。
 それが、僕の文學社會に出た初めである。



底本:「現代文士廿八人」中村武羅夫著、日高有倫堂
   1909(明治42)年7月16日発行
※入力に際して、近代デジタルライブラリー(http://kindai.ndl.go.jp/)で公開されている当該書籍画像を、底本として利用させていただきました。
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