道だから何うしても遣り遂げるといふ決心をした。そして五六十圓を得る爲めに親族間を奔走した。駄目なので、已むを得ず友人に貸して居た金を五六圓集めて、それを持つて、九月と云ふに袷一枚で、東京に飛び出し、大膽にも下宿して金のあり丈け其頃の雜誌を買ひ集めて、それを下宿の狹い室で一生懸命に讀み耽つたものである。其時然うして本をしみ/″\讀んだのが、僕の文學生涯に入つた、殆んど出發點であつた。そして、傍ら譯の分らぬものを書いて居た。其時、最も頭に印象されて、僕の文學崇拜の念を益々深くしたものは、森鴎外氏の水沫集一卷、其中でも「埋木」と「うたかたの記」と、内田不知庵氏の「罪と罸」とである。無論「あひゞき」も絶えず傍に置いた。それ等の作物を耽讀すると云ふよりは、寧ろ熟讀したものである。それに、森田思軒氏の「懷舊」と云ふものを讀んだ。要するに、何うしても文學者にならうと云ふ決心を定めたのは、それ等の本を讀んだ結果である。其傍ら書いて居たものと云ふのは、今から見ると、何の意味もない、詰らぬロマンチツクなもので、文章は思軒を眞似て居た。
それと同時に、宮崎湖處子のものを愛讀して、其新體詩なぞ眞似たものであ
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