を八重《やえ》に渡《わた》した調革《てうかく》は、網《あみ》の目《め》を透《とお》してのた[#「のた」に傍点]打《う》つ大蛇の腹《はら》のやうに見えた。
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「恨《うら》ましやすんな、諦《あきら》めなされ、
 日《ひ》の眼《め》拜《おが》まぬ牢屋《ろうや》の中《なか》で、 
 手錠《てじやう》、足械《あしかせ》悲《かな》しいけれど、
 長《なが》い命《いのち》ぢやもうあるまいに
 何《ど》うせ自暴《やけ》だよ……」
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 皺嗄《しやが》れた殆《ほとん》ど聴取《きゝと》れない程《ほど》の聲《こゑ》で、恁《か》う唄《うた》ふのが何處《どこ》ともなく聽《きこ》えた。私《わたし》は思《おも》はず少《すこ》し歩《あゆみ》を緩《ゆる》くして耳《みゝ》を傾《かたむ》けた。
 機械《きかい》の轟《とどろき》、勞働者《ろうどうしや》の鼻唄《はなうた》、工場《こうば》の前《まへ》を通行《つうかう》する度《たび》に、何時《いつ》も耳にする響と聲だ。決《けつ》して驚《おどろ》くこともなければ、不思議《ふしぎ》とするにも足《た》らぬ。併《しか》し何《ど》ういふものか此時《このとき》ばかり、私《わたし》の心《こころ》は妙《めう》に其方《そつち》に引付《ひきつ》けられた。資本主《しほんぬし》と機械《きかい》と勞働《らうどう》とに壓迫《あつぱく》されながらも、社會《しやくわい》の泥土《でいど》と暗黒《あんこく》との底《そこ》の底に、僅《わづか》に其の儚《はかな》い生存《せいぞん》を保《たも》ツてゐるといふ表象《シンボル》でゞもあるやうな此《こ》の唄《うた》には、何《な》んだか深遠《しんえん》な人生《じんせい》の意味《ゐみ》が含《ふく》まれてゐるやうな氣がしてならなかツた。
 けれども勞働者の唄は再《ふたゝ》び聽《きこ》えなかツた。只《たゞ》軋《きしめ》く車輪《しやりん》と鐵槌《てつつゐ》の響とがごツちやになツて聞《きこ》えるばかりだ。若《も》しや哀《あは》れな勞働者は其の唄の終《をは》らぬ中《うち》、惡魔《あくま》のやうな機械の運轉《うんてん》の渦中《くわちう》に身躰《からだ》を卷込《まきこ》まれて、唄の文句《もんく》の其の通《とほ》り、長《なが》くもない生涯《しようがい》の終《をはり》を告《つ》げたのではあるまいか。と、私《わたし》はこんな馬鹿氣《ばかげ
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