したやうに慌しく書棚を覗き※[#「廻」の正字、第4水準2−12−11、224−上段29]る。覗き※[#「廻」の正字、第4水準2−12−11、224−中段1]りながら、ポケットから金《ゴールド》の時計を出して見て、何か燥々《いら/\》するので、頻にクン/\鼻を鳴らしたり、指頭で髮の毛を掻※[#「廻」の正字、第4水準2−12−11、224−中段3]したり、または喉《のど》に痰《たん》でもひツ絡《から》むだやうに妄《やたら》と低い咳拂《せきばらひ》をしてゐた。風早學士は、此の醫學校の解剖學擔任の教授で、今日の屍體解剖の執刀者だ。年は四十に尚《ま》だニツ三ツ間があるといふことであるが、頭は既《も》う胡麻鹽になツて、顏も年の割にしなび[#「しなび」に傍点]てゐる。背はひよろり[#「ひよろり」に傍点]とした方で、馬鹿に脚《コンパス》が長い。何時も鼠とか薄い茶色の、而もスタイルの舊い古ぼけた外套《オバーコート》を着てゐるのと、何樣な場合にも頭を垂れてゐるのと、少し腰を跼《こご》めて歩くのが、學士の風采の特徴で、學生間には「蚊とんぼ」といふ渾名《あだな》が付けてある。さて風采のくすむだ[#「くすむだ」に傍点]學士が、態度も顏もくすむだ[#「くすむだ」に傍点]方で、何樣《いか》なる學士と懇意な者でも學士の笑聲を聞いた者はあるまい。と謂ツて學士は、何も謹嚴に構へて、所故《ことさら》に他《ひと》に白い齒を見せぬといふ意《つもり》では無いらしい。一體が榮《は》えぬ質《たち》なのだ。顏は蒼《あを》ツ白《ちろ》い方で、鼻は尋常だが、少し反《そ》ツ齒《ぱ》である。顏のうちで一番に他の注意を惹くのは眼で、學士の眼の大きいことと謂ツたら素敵だ! 加之《それに》其が近眼と來てゐる。妙に飛出した眼付で、或者は「蟹《かに》の眼」と謂ツてゐた。頭髮《かみ》は長く伸して、何時|櫛《くし》を入れたのか解らぬ位。其が額《ひたひ》におツ被《かぶ》さツてゐるから、恰で鳥の巣だ。
 學士の顏や風采も榮えぬが、其の爲《す》る事も榮えぬ。教壇に立ツても、調子こそ細いが、白墨《チヨーク》の粉だらけになツた手を上衣《コート》に擦《こす》り付けるやら、時間の過ぎたのも管《かま》はずに夢中で饒舌《しやべ》ツてゐるやら、講義は隨分熱心な方であるが、其の割には學生は受ぬ。尤も學士には、些《ちよツ》と高慢な點《とこ》があツて、少し面倒な、そして少し得意な説を吐く時には、屹度《きつと》「解るか。」と妙に他を馬鹿にしたやうに謂ツて、ずらり學生の顏を見※[#「廻」の正字、第4水準2−12−11、224−下段6]したものだ。見※[#「廻」の正字、第4水準2−12−11、224−下段7]して置いて、肩を搖《ゆす》ツて、「だが、此の位のことが解らんやうぢや、諸君の頭はノンセンスだ。」といふ。これが甚《ひど》く學生等の疳癪《かんしやく》に觸ツた。それで其の講義は尊重してゐたけれども、其の人物に對しては冷《ひや》ツこい眼で横目に掛けてゐるといふ風であツた。雖然《けれども》學士の篤學なことは、單に此の小ツぽけな醫學校内ばかりで無く、廣く醫學社會に知れ渡ツた事柄で、學士に少しのやま[#「やま」に傍点]氣と名聞《みやうもん》に齷齪《あくせく》するといふ風があツたならば、彼は疾《とう》に博士になツてゐたのだ。勿論學校からも、屡ゝ彼に博士論文を提出するやうに慫慂《しようよう》するのであツたけれども、學士は、「博士論文を出して誰に見て貰ふんだ。」といふやうなことを謂ツて、頭《てん》で取合はうとはしなかツた。學士は一元哲學の立場からして、極端な死滅論者で、專《もツぱ》ら新ダーウイン派の説を主張してゐる。で、一般は彼のことを解剖學者と謂ツてゐるけれども、學士自身は、所謂《いはゆる》解剖學は一種の術に屬すべきもので、學問では無い、自分は生物學を研究してゐるのであると謂ツてゐた。事實然うかも知れない。學士は、生物……と謂ツても、上は人間から下は蚯蚓《みゝず》の類まで、都《すべ》ての動物に多大の興味を持ツて研究してゐる。彼は單に科學的に實驗するばかりで無い。哲學的に思索もする。要するに彼は、形而下《けいじか》から、また形而上から自然の本體を探ツて、我々人類生存の意義を明《あきらか》にしようと勤めてゐるのであツた。されば風早學士は、自然哲學者として甚だ説が多い。また研鑚《けんさん》も深い。雖然《けれども》學士は尚《ま》だヘッケル氏の所謂「熟せる實」とならざる故を以て其のD蓄《うんちく》の斷片零碎をすら世に發表せぬ。彼は今のところ自ら高く持して默ツて考へてゐる人だ。そして其の爲ることでも言草でも、頭の冷ツこい人であることは爭はれぬ事實だ。
 彼は、解剖學者として、是迄殆ど百に近い屍體を解剖した。彼に解剖された人を一時に集めて見たら、立派な人生の縮圖が出來て、其處に小社會小國家が作られ、そして我々人間が祖先から傳へられた希望も欲望も習慣も煩悶も疑惑も歸趣も、そして運命をも、殆ど殘らず知悉《ちしつ》することが出來たかもしれぬ。解剖臺に据ゑられたんだからと謂ツて、人間が變ツて生れたのでも何んでも無い。矢張《やツぱり》我々が母の胎盤を離れた時のやうに、何か希望を持ツて、そして幾分か歡喜の間に賑《にぎやか》に生れたものだ。そこで其の最後は、矢張我々の先代が爲したやうに、何の意味も無く、また何等の滿足も無く、淋しい哀な悲劇であつた。彼等のうちには、戀に燃えて薄命に終ツた美人もあツたらう、また慾に渇《かわ》いて因業《いんごふ》な世渡《よわたり》をした老婆もあツたらう、それからまた尚《ま》だ赤子に乳房を啣《ふく》ませたことの無い少婦《をとめ》や胸に瞋恚《しんい》のほむらを燃やしながら斃《たふ》れた醜婦もあツたであらう。勿論小さな躓跌《つまづき》から大なる悲劇の主人公となツて行倒《ゆきだふれ》となツた事業家もあツたらうし、冷酷な世間から家を奪はれて放浪の身となツた氣の好《い》い老夫《おやぢ》もあツたらう。また活きてゐる間|溌溂《はつらつ》たる意氣に日毎酒を被《あふ》ツて喧嘩を賣※[#「廻」の正字、第4水準2−12−11、226−中段6]ツた元氣な勞働者もあツたらうし、空想的の功名に※[#足扁に「宛」、第3水準1−92−36、226−中段7]《あが》いて多大の希望と抱負とを持ツて空しく路傍に悲慘なる人間の末路を見せた青年もあツたであらう。更にまた一夜に百金を散じた昔の榮華を思出して飢《うゑ》と疾《やまひ》とに顫《をのゝ》きながら斃れた放蕩息子《のらむすこ》の果《はて》もあツたらうし、奉ずる主義の爲に社會から逐《お》はれて白い眼に世上を睨むでのたうち[#「のたうち」に傍点]※[#「廻」の正字、第4水準2−12−11、226−中段13]りながら憤死した志士もあツたであらう。中にはまた、堅い信仰を持ツて泯然《びんぜん》として解脱《げだつ》した宗教家もあツたらうし、不靈な犬ツころの如く生活力が盡きてポツクリ斃れた乞食もあツたらう。是等種々に異ツた性質と境遇と運命とを持ツた人間が、等しく「屍體」と名が變ツて生物の個體として解剖臺の上に据ゑられる、冷たくなツて、素ツ裸にされて。繰返していふが、此の人等は決して變ツた人ヤでも何んでも無い。疑も無く我々と同じ種族で、甚だ小しやまくれた[#「しやまくれた」に傍点]、恐ろしく理屈ツぽい、妄《やたら》とえらがツてゐる人間で、巧く打當《ぶちあて》たら、何れも金モールの大禮服を着けて、馬を虐待して乘※[#「廻」の正字、第4水準2−12−11、226−中段25]すだけの資格があツたのだ。
 併し風早學士は、些《ちつ》とも其樣なことに就いて考へなかつた。其が設《よし》や何樣な人であツたとしても、彼の心に何んの衝動も感覺も無かツた。勿論其の人の運命や身分や境遇や閲歴に就いて想像を旋《めぐ》らすといふやうなことも無い。また其が貴人の屍體であツたとしても、賤婦野人の屍體であツたとしても、彼は其處に黒犬《くろ》と斑犬《ぶち》との差別を付けようとしなかツた。要するに都《すべ》て人間の屍體で、都て彼に解剖されるのを最後の事蹟として存在から消滅するものと考へてゐた。で解剖される人に向ツて、格別|儚《はか》ないと思ふやうなことも無ければ、死の不幸を悲しむといふやうなことも無かツた。彼の人の死滅に對する感想は、木の葉の凋落《てうらく》する以上の意味は無かツたので。
 そこで或る生ツ白い學生などが、風早學士に向ツて、此樣なことを訊ねたことがあると假定する。
「何んですな、解剖學者といふものは、恐ろしく人間を侮辱してゐるものですね。死者の尊嚴を蹂躙《じふりん》して、恰《まる》で化學者が藥品を分析するか、動物學者が蟲けらでも弄《いぢ》くるやうな眞似をするのですから。」
 而《す》ると、風早學士は、冷《ひやゝか》に笑ツて、
「そりや人間靈長教や靈魂不滅説の感化から來た妄想さ。我々の祖先に依ツて廣く傳播《でんぱ》された宗教といふ迷信的の眞理では、我々人類が甚だえらい[#「えらい」に傍点]者のやうに説かれてゐるから、人間の靈性だとか、死者の尊嚴だとかいふことを考へて、解剖することが、解剖される個體に對して甚しい侮辱……だと、ま、思ふのだらうが、そりや思ツたことで、考へたことぢやないな。僕は、屍體に對して特別に尊敬も拂はぬが、また侮辱もし無い。何時も出來るだけ有用な材を得ようと考へて、出來るだけ親切に解剖する。其がまた刀を執《と》る者の義務だからね。併し其が假に死者に對する侮辱だとしよう。然らば君等に人間靈長の迷信を鼓吹したクリストは何《ど》うだえ……活きてゐる人に向ツて罪惡の子と謂ツてゐるぢやないか。罪惡の子とは、平ツたくいふと惡い奴だといふことだ……君等は此の大侮辱には歡喜して、解剖學者の侮辱でも無い侮辱に憤慨するのかえ。」
 そこで片一方が躍氣となつて、
「そりやクリストは救世主ですから、其位の侮辱をする權利があるでせう。」といふと、
「其んなら解剖學者だツて、宇宙の研究者なんだから、其位の……、侮辱でも無い侮辱をする位の權利がある譯ぢやないか。」
 此樣な事で、風早學士は何處までも人間の本體を説いて、解剖は決して死者に對する禮を缺くものでは無いと主張するのであツた。
 されば風早學士が、解剖臺に据ゑられた屍體に對する態度と謂ツたら、冷々たるもので、其が肉付の好い若い婦《をんな》であツても、また皺だらけの老夫であツても、其樣な事には頓と頓着せぬ。彼の眼から見た其の屍體は、其の有脊椎動物で眞の四足類で、また眞の哺乳類で、そして眞の胎盤類である高等動物の形態に過ぎぬので。それで魚屋が俎《まないた》の上で鰹《かつを》や鯛《たひ》を切るやうに、彼は解剖臺の屍體に刀を下すのであツた。其の手際と謂ツたら、また見事なもので、法《かた》の如く臍《へそ》の上部に刀を下ろす。人間の血は、心臟の休息と共に凝血して了ふから、一滴の血も出ない。先づ腹部を切開して、それから胸腔に及んで、内臟の全くを露出する……膓でも、胃でも、腎臟でも、膀胱でも、肺でも、心臟でも、または動脈でも靜脈でも、筋《きん》でも骨でも、神經でも靭帶《じんたい》でも、巧に、てばしこく[#「てばしこく」に傍点]摘出しまた指示して、そして適宜に必要な説明を加へる。幾ら血が出ぬからと謂ツても、我々人間の内臟は、色でもまた形でも餘り氣味の好《い》いものでは無い……想像しても解る。人間の筋肉は、鮮麗な紅色を呈して美しい色彩のものではあるが、何故か我々人間に取ツて何等の美感を與へられる性質のもので無い。理窟は別として、人間の生活慾は、牛肉を快喫する動物性はあツても、人間の感情は、ただ一片の同胞の筋肉を見ても悚然《ぞツ》とする。況《ま》して其の筋肉を原形のまゝで、筋肉と混同《ごツちや》になツて、白い骨を見たり、動脈を見たり靜脈を見たり、また胃の腑の實體や膓のうじや[#「うじやうじや」に傍点]/\したところを見ては、奈何《いか》に氣強い者でも一種嫌惡の情に打たれずに居られない。されば始めて實驗解剖を見た者は、大概二三度
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